都会に根を張る一店舗主義

2016年6月16日

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 「本山の方は、得度して入るところなので、料理の修行ならばと当時の住職、村瀬玄妙さんの住んでおられた氏の塔頭に入れることになりました。そこで4人くらいの雲水さんと寝起きを共にしながら、九条市場にも通ってお料理を勉強させていただきました。その頃は、会社の研修先でもあったので、時には100人分のお料理をご用意したこともあります」

 もっとも寺で学んだ普茶料理をそのまま店に出すつもりはなかったが、そのまま半年、滞在して修行した。たとえば、今も看板料理の一つになっている鰻豆腐などは、この時に学んだ一品。江戸の有名な料理本『豆腐百珍』にも紹介されている豆腐をかば焼き風に見立てた古いもどき料理である。また、中国語で麻腐(まふ)という胡麻豆腐も萬福寺仕込みだ。

 若い頃、厳しい僧院での半年の暮らしから、何を学んだのだろう。

 「そうですね、関西では“ほかさない”と言いますが、“捨てないこと”ですね。うちのコースに必ず入る雲片というお料理がありますが、これは、もともと料理する時に出た野菜の切れ端を煮て吉野くずを溶いたお汁で、廃物利用なのです。細かい野菜くずも一つの命として生かしていく。それを何より教わったと思います」

雲片(うんぺん)と呼ぶコースに必ず入る吉野葛でとろみをつけた汁は、料理の中で出た野菜の切れ端を無駄なくいただくための黄檗宗のお寺直伝のお料理

 また、小学生の頃から土曜の午後は、浅草で裏千家のお茶を習ってきた。

 「お茶を通じて教わったのは、無理、無駄、油断、料理を作り込み過ぎないこと、素材をすべていかすこと。また、お客様の下足を揃えるといった気使いですね」

 二階の広間に並ぶ塗の座卓は、東大寺二月堂のそれを模した特注品で、最後に供されるご飯のお椀も特注。「京都のお精進の器が瀬戸物でちょっと冷たい印象を受けたので、うちのご飯の器は、拭き漆の臨済椀を作っていただいたんです」

 お店をいっしょに支えてきた奥様とは、21才で結婚。中学校の同級生だという。今は、37歳の息子夫婦も忙しい店を手伝っている。

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