定年バックパッカー海外放浪記

2016年7月24日

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村の中心の交差点に設置された戦没者慰霊碑

 Le Puyからピレネー山脈を越えるまでの巡礼道のとおる地域は考えてみるとこのデカズビルも含めて全て第二次大戦中はビシー政権の支配下にあったのだ。39年にドイツ軍機甲師団が電撃作戦でフランスの巨大塹壕のマジノ線を突破すると即座にフランスは無抵抗で独軍に降伏。パリを中心とするフランスの北半分はドイツの軍政下におかれた。フランスの南半分は親ナチスドイツのペタン元帥によるビシー政権が終戦まで支配していたのだ。

 親ナチスドイツのビシー政権における警察官は“対独協力者”と見なされて、戦後のド・ゴール将軍時代には老人一家は周囲から有形無形の差別を受けたのであろうと想像した。

 老人に案内されてデカズビルの中心街に来た。老人がつまらなそうに指さした。そこには大きな対独戦勝記念碑があり、フランス軍兵士の英雄群像が聳えていた。私はこの英雄群像が虚構であり「嘘っぱち」であることがすぐに理解できた。フランス軍はドイツ軍に対して組織的・持続的な戦闘をほとんどしていないからである。

フランスの田舎の戦没者慰霊碑

この地方は肉牛の一大生産地。毎年6月に牛祭りが開催される

 巡礼道を辿っているとどんな辺鄙な田舎の村でも必ず地元出身兵士の戦没者慰霊碑がある。よく見ると普仏戦争、第一次世界大戦における地元出身の戦没者の氏名が彫られている。それぞれの村の戦没者は普仏戦争ではせいぜい数名くらいであるが、第一次世界大戦では数名から数10人の戦死者があったことが分かる。

 ところが第二次世界大戦については何も記録されていないことが多い。偶に記録されていても第二次世界大戦及びレジスタンス運動を併せて1名か2名であった。Le Puy出発以来そうした慰霊碑を数多く見てきたのでデカズビルの英雄群像が虚構であると直感したのである。

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