サイバー空間の権力論

2016年7月8日

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塚越健司 (つかごし・けんじ)

拓殖大学非常勤講師

1984年生。専攻は情報社会学、社会哲学。著書に『ハクティビズムとは何か』(ソフトバンク新書)、共編著に『「統治」を創造する』(春秋社)、など。TBSラジオ『荒川強啓デイ・キャッチ!』火曜ニュースクリップ担当としてレギュラー出演中(http://www.tbsradio.jp/dc/)。

(2)スクリーニングルームに代表されるネットでシェアする映画体験

 逆に、ニコニコ動画などの動画にコメントするサービスが現れて以降、映像は一人でみるだけでなくコメントをつけながら鑑賞するという、映像そのものではなく映像を通したコミュニケーションを楽しむユーザーも現れている。そうしたユーザーにとっては、スクリーニングルームのような家族・友人たちだけで語り合いながら映画を鑑賞するスタイルもあり得るだろう。あるいはスクリーニングルームのようなサービスに、レンタルしたユーザー限定でコメントをつけながら映画を楽しむ機能などが追加されることも想像できるだろう。特に若いコメント慣れしたユーザーにとっては、映画は終わってからカフェで内容について話すものではなく、鑑賞中にコメントしながら楽しむものでもあり、映像内容に対するコミュニケーションの優位性が映画にも適応される可能性も考えられる。

(3)SNSへの投稿を目的としたリアルシェア型映画

 シェアといっても、内容やコミュニケーションだけでなく、「誰々と映画に行った」という場所経験を含めた経験もまた映画体験である。SNSに映画館を背景にした友人との写真に「この映画泣ける」といったコメント付きのものが投稿される。こうした体験は伝統的な映画の鑑賞方法であるが、映画が内容とコミュニケーションに加えて、SNSへの投稿を意識したリアルの場所性を帯びたものとなっている点が注目される。女子中高生向けの恋愛漫画原作の映画などは、内容もさることながら、SNSへの投稿を含めたものとして人気を博していると推測される。

拡大する映画体験

 このような映画体験を列挙すれば、映画体験の多様化が鮮明になる。スクリーニングルームの試みは、映画産業への影響に加えて我々の映画体験の享受可能性に新たな選択肢を与えるものだろう。映画といえば大きなスクリーンかレンタルして観るものであり、娯楽映画かメッセージ性の高い(主に単館上映のような)芸術作品、といった程度で区別できるものではもうない。映画ときいて思い浮かぶイメージもさらなる多様化が進むだろう。

 映画は娯楽であり芸術でありコミュニケーションのネタである。その意味ではVRのような五感を刺激するものやシェアを目的とした映画も、大枠では古くからあるものと変わらない。だがひとりひとりにとっての映画に対するイメージが多様化していく中で、映画体験はユーザーの視聴環境によっても左右される。映画やテレビなど、変わりゆくメディアの「視聴環境」がどのような影響を我々に与えていくか。今後が注目される。

  
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