2024年11月22日(金)

野嶋剛が読み解くアジア最新事情

2016年8月8日

 一方、評論家・黄文雄氏による『親日派! 蔡英文』という本も6月に出版されている。これは蔡英文の評伝というよりは、黄文雄氏の台湾論であり、蔡英文氏に関する記述は最初の1章、2章だけに留まっており、このタイトルでこの内容はいささか「羊頭狗肉」の嫌いがあることは否定できない。また、蔡氏が親日派であるかといえば、いささか微妙である。蔡氏は基本的に日本と縁遠い英米留学によるエリート人生を歩んできた人物で、その日本理解は極限的であることは知られている。もちろん民進党政権の対日重視政策という部分はあって、蔡氏も日本へ友好的に接しており、前任の馬英九総統よりは日本に好意的なアプローチを取ってくるだろうが、それでも蔡氏を「親日派」と呼ぶことには、いささかの違和感がある。

『蔡英文 從談判桌到總統府』

 さらにこれは紹介するかどうか迷ったが、いちおう書いておくと、幸福の科学出版から、蔡氏の守護霊との対談本『台湾新総統 蔡英文の未来戦』という書籍が今年2月に出ている。蔡氏の守護霊が実は中江兆民だったというびっくりの設定で、しかし内容では安全保障や台湾政治についてそれなりに突っ込んだ議論を展開しているところが何ともアンバランスだ。幸福の科学出版は過去にも馬英九前総統や李登輝元相当の守護霊ネタでも本を出版している。

 日本で、台湾の現職総統の自伝が出たのは2000年に出版された陳水扁総統の「台湾之子」(毎日出版社)以来となる。馬英九総統の自伝は台湾では出ていたが、日本では出版されていなかった。同じ台湾総統である李登輝氏の場合は別格のところがあり、李登輝氏関連本はほとんど毎年のように日本で出版されている。台湾でよりも日本での方が売り上げもいいとされる。その点では、蔡氏らその他の総統との比較は難しいだろう。

台湾への関心と、蔡英文氏への関心

 蔡氏の本が相次いで出ている理由については、台湾への関心と、蔡英文氏への関心の二つレベルから考えることができるだろう。

 台湾に対して、日本社会全体の関心が高まっていることは間違いない。台湾旅行に関する女性誌の相次ぐ特集や観光ガイド本の氾濫からも、台湾への注目は一つの現象になっていると言っていいだろう。以前、日本に対して強い関心を持つ人々のことを「哈日族」という呼び方が流行したが、いまの日本では少なからぬ「哈台族」が生まれているように思える。

 一方、出版業界においては、これまで台湾に関する書籍は専門書か観光本から二極化されている傾向が強く、その真ん中の一般読者にも手に取りやすい内容の本は意外なほど少なかった。そのなかで、蔡氏という個人についても、台湾で初めての女性総統であり、中国寄りと見られていた国民党を圧倒的に打ち破る形で登場した蔡氏は、台湾の新時代を象徴する出来事であり、「蔡英文のことを知りたい」という期待が日本でとみに高まったのではないだろうか。

 蔡氏も、日本での出版に対して一定の思い入れを持っているようで、『蔡英文 新時代の台湾へ』『蔡英文の台湾 中国に向き合う女性総統』には、ともに自ら日本語版への序文を寄せている。その内容も、単なるありきたりの序文ではなく、本人が何度も校正を加えながら何度も書き換えたものだったという。民進党政権内では日本との関係強化に対する期待も高く、自伝の出版によって蔡氏の知名度や影響力を日本社会で高め、その対日政策や対中政策への理解が高まるメリットもある。台湾政治の変化に伴ってにわかに起きた出版界の「蔡英文ブーム」だが、日本社会の台湾理解に資することは間違いないだろう。

  
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