「子縁」でつながる秋津地域のお父さん 

2016年8月26日

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岸 裕司 (きし・ゆうじ)

秋津コミュニティ顧問

1952年東京生まれ。広告・デザイン会社の(株)パンゲア代表取締役、習志野市立秋津小学校PTA会長時に秋津コミュニティ創設、会長を経て現在顧問兼秋津小学校コミュニティルーム運営委員会顧問。文部科学省委嘱コミュニティ・スクール推進員、学校と地域の融合教育研究会副会長、埼玉大学・日本大学非常勤講師、ほか。著書に『「地域暮らし」宣言』『学校を基地にお父さんのまちづくり』(ともに太郎次郎社エディタス)、『学校開放でまち育て』(学芸出版社)など。

 思うに競技による勝ち得点やルールの違いは、その競技のスポーツ文化の歴史の変遷なのでしょう。

 だれかがこんな違いの歴史を研究してくんないかなぁ(すでにあればおしえてくだしゃんせ)。

国籍ってなんだろう?

 また、今回感じたことに選手の国籍のことがあります。

ケンブリッジ飛鳥は私が非常勤で通う日本大学卒。その校舎に掲げられた応援横断幕にも彼の名前が左上に。
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 400リレー銀メダルの若きケンブリッジ飛鳥や柔道90キロ級金メダルのベイカー茉秋のような両親ダブルでの日本国籍人も出現しました。

 逆に、タレントの猫ひろしはカンボジア国籍人としてマラソンに挑みました。

 いっぽう卓球は、元中国籍人が上位の国の選手に多かったですよね。

 「全員最初から同じ国籍のチームは日本だけだね」なぁんて会話もワイフとしました。

 そんな視点で観ていると、オリンピックにおける国籍ってなんだろう? と思ってしまいます。

 他の国の国籍を取得してオリンピックに出た選手らはどのように思っているのでしょうか。

 勝利選手らのコメントでは国旗を背に「自国民への感謝」や「自国愛」を語ります。

 その気持ちは理解できます。

 多額の税金や練習だけに没頭できる環境を整備し支援してくれた転籍先の国民への素直な感謝の気持ちだろうと想像できるからです。

 でも、元の国籍への想いや元の国の国民へのある種の申し訳なさのような感情もあるのではないのかなぁ、と思うのは私だけでしょうか。

 その意味では、国ないし国益?を背負ってでないと出場までいきつけない今のオリンピックのあり方が問われているように感じます。

 いずれボーダレスな世界になり国籍の意味が薄まっていくといいなぁ、なんて夢想しちゃいます。

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