ご主人が続けた、「介護がやっと終わったと思ったら自分たちも結構な年になっていたというわけですよ。10年間も介護の生活が続くなんて想像もしていませんでしたよ。二人の人生設計も大きく狂ってしまいました。それで今年の年初めに二人で話し合って、この先何があるか分からないから“人生の総決算”としてサンチアゴ巡礼をしようと決めたんですよ。」
「そうなんです。だからサンチアゴ・デ・コンポステーラに到着したら私たちの人生の総決算になるんです。そこが人生の区切りです。そのあとのことは分かりません。でも、サンチアゴで区切りをつけたら、なにか次の新しい人生が見えてくると信じています。」と奥様が言うとご主人は黙って深く頷いた。
私は言葉を失った。一見するとTVのCMに出てきそうな素敵なご夫婦が人生を狂わせるような過酷な介護の10年を過ごしてきたという。身内の介護には他人には推し量れないような苦労、苦悩があったのだろうか。心の中で二人のサンチアゴ巡礼成就を祈念した。
名古屋の鉄人、Nさんとの出会い
6月22日 中世から続く豊かな丘の上の町Astrogaの修道院を改装した公共巡礼施設にチェックインしたときのことである。自分の割当のベッドに毛布がなかったので受付にもらいにゆくと、「私のね、息子がね、後でチェックインするからね。よろしく」と、同年代の日本人のオジサンが日本語で受付のボランティアスタッフの青年に向かって大声で説明している場面に遭遇。青年は日本語が分からないというジェスチャーで反応。このオジサンは血色がよく元気が全身から溢れており、青年の困惑顔にも関わらずニコニコと日本語で話している。
後ほど、話をうかがうと次男が一緒に巡礼するために当日夕刻にAstrogaに到着する予定という。次男が到着したら好きな肉料理をご馳走してあげるつもりと嬉しそうに話していた。
6月23日 Foncebaronに向かって歩いていたら、昨日の邦人男性と次男坊氏に遭遇。お互いに自己紹介すると彼、Nさんは1954年生まれで当時61歳。体調を崩して早期退職したが、その後鍛錬した結果体調を回復して既にサンチアゴ巡礼も四回目という。有名な「フランス人の道」以外に「ポルトガル人の道」「銀の道」を制覇。今回は難関の「バレンシアの道」を歩いてきたという。次男坊氏は学生時代アメフトの選手で現在はフリーの映像制作者という好青年である。