江ノ電の踏切
今回東京、鎌倉、箱根、京都、大阪の旅程、基本的に全て運転手付きのワゴンハイヤーをチャーターしていて費用は1万9000元(約29万円)と、これもネットで予約して運転手は中国人でコミュニケーションも問題ないと。面白かったのは鎌倉に行く理由。歴史探訪か古都探訪かと思ったらスラムダンクだった。初めて知ったのだがスラムダンクに出てくる江ノ電の踏切を見に行くんですね。そもそも中国のある映画がきっかけになり北海道旅行がメジャーになったこともあったが、映画とかアニメの力はすごい。そういう意味では日本の観光資源は無尽蔵にありそうだ。
さて蕎麦屋での食事、せっかくだからお酒に合う少し変わった物を注文してあげた。燻りがっことクリームチーズ乗せ。秋ジャケの白子。かぶの浅漬け。エビ天に卵をかけて煮たやつなどなど。どれも大好評。中国には冷凍物しかないよと秋刀魚も頼んだが反応は今ひとつ。締めは鶏南蛮と豚南蛮のうどんが好評だった。お酒は地酒の順子、磯自慢、貴といったのだが、さすが茅台酒の本場の人たち物足りないと、その後は泡盛の水割りに行ってしまい僕的にはちょっときつかった。
彼はさすが証券マン、日本の政治経済にもとても興味があるようで、色々と質問をしてきた。
私とのやり取りは概ね以下の通りであった。
問:日本はこのような金融の量的緩和を続けてきて問題ないのであろうか?
答:先日、編集長(上記の中国メディア)とも議論したが、どの国の政府も本音は痛みを伴う改革はしたくないということだ。特に自分の周辺の権益を損なう痛みは。その点は日本も中国もどっちもどっちではないか。量的緩和は痛みを伴わない。政府の負債の利息負担を大幅に減らすことはできる。日本のプライマリーバランスは数年後に黒字になるという識者もいる。
問:日本はバブルの崩壊後どんなに苦しい思いをしたのか?
答:自分としては社会人になったのが、1987年のバブルの真最中であるが、自分の生活から見るとあまり実感がないのが正直なところ。その頃銀行の証券部門にいて、日本企業が欧州の社債市場で資金調達をお手伝いしていたので、そういう意味ではバブルの片棒を担いでいたのかもしれない。ただ、まだ駆け出しの銀行マンで給料も安いし、毎晩12時近くまで残業して忙しくて遊ぶ時間もなかったので、バブリーな生活とは縁もなかった。1993年から中国で生活しているので、バブル崩壊の日本を離れ、新たなバブルの中国に乗り換えたともいえるかもしれない。バブルの崩壊で会社が倒産した人はそれは大変な思いをしたのだと思うが、一般庶民からすれば、まさにバブリーな派手な生活スタイルがなくなったくらいにしか見えてこないかもしれない。より、本質的な点から捉えれば、失われた20年の出発点になっているので、その後じわじわと失った点は色々とあるのだと思うが。