そこから、レピュブリック広場まで歩いて出てみた。昨年、シャルリー・エブド本社へのテロ事件に抗議するために、大集会が開かれ、160万人が行進した起点である。有名なタンプル大通りが広場につながっている。19世紀中ごろ、犯罪大通りといわれ、夥しい劇場があった。往年の映画ファンならば、見たことがあるだろうDマルセル・カルネ監督の『天井桟敷の人々』の舞台でもある。
この女性像マリアンヌとこの広場こそが共和国フランスの美しい標語を象徴している。
ー自由、平等、友愛―
像の土台には、同時多発テロの犠牲となった人々の名前、フランス国旗と犠牲になった国の国旗、そして「わたしはシャルリー」「イラク、シリアの死者200万人にわれわれは責任がある」などの標語が張られ、花々が生けられ、蝋燭が灯されている。凍える寒さだし、早朝の出勤時間なので、像を訪れる人はほとんどいない。若くし亡くなった女性の写真もある。悲しい祈りの場だ。
ユダヤ人兄弟は2カ月前に劇場を売り払っていた
その足でバタクラン劇場まで歩く。15分ほどの距離だ。花束、蝋燭、国旗は大通りを隔てた生け垣にびっしりと並べられている。インターネットでは劇場の持ち主はユダヤ人だったから襲われたなどとの書き込みもあったが、所有者だったユダヤ人兄弟は2015年の9月11日に売り払い、イスラエルに移住している。
『The Time of Israel(テロ翌日11月14日付け)』に兄弟へのインタビューの記事がのっている。兄弟によると、「危ない」という情報があり、イスラエルのネタニヤフ首相の「フランスのユダヤ人は危ない、イスラエルに来た方がいい」という言葉に従ったのである。誰に売ったか、誰からの情報だったかは明示していない。9.11に売ったというのは、何かの符号のようだが、ただの偶然かもしれない。
その夜、レピュブリック広場近くの繁華街で夕飯を食べた。入ったのは民族音楽が流れるアラブ料理店。オーナーはトルコのイスタンブールからの移民だった。花金なのに店内の客は私とアラブ系の女性だけで閑古鳥が鳴いている。向かいのフランス風カフェレストランは、客たちで溢れんばかりに賑わっている。