中国誌『中国週刊』もこう伝えた。「2010年上海万博は、世界が中国を見ている。さらに上海を見ているのだ」。
「浦東で万博を」――100年前に予言したSF小説
上海万博は、屈辱の近代史を乗り越え、新中国を建国した共産党の正統性を内外にアピールする「政治ショー」であることを、胡錦濤指導部は隠さない。
「万博は中華民族100年の夢」―。温家宝首相は09年11月、こう訴えた。
中国メディアは、温がこの際に披露した話を盛んに宣言している。
「1910年に陸士諤という青年が創作したSF小説『新中国』は、100年後の上海・浦東で万博を開催するという情景を思い描いた。維新変法の代表人物・梁啓超らも上海万博を提案した」(温家宝)
陸士諤は小説の中で、万博を浦東で行うこと以外に、鉄橋とトンネルを造り、トンネルに地下鉄を走らせることも夢想していた。「陸は愛国者として、小説の主人公に独立、自由、尊厳を勝ち得た中国を夢の中で見させたのだ」と中国誌『博客天下』は伝える。
陸が今を予言した小説を書いた翌年には辛亥革命が起こり、中国で2000年以上続いた王朝体制は幕を閉じた。辛亥革命を主導した革命家・孫文も陸と同様、「『建国方略』(1919年)の中で、創造都市の中心は浦東にあり、上海はニューヨークにも劣らない港になることも可能だ」(『中国新聞週刊』)と上海に期待を込めた。
しかし国際都市・上海はその後、政治に翻弄される激動の歴史の舞台になった。国民党・蒋介石による大弾圧(1927年上海クーデター)、日本軍が上海を軍事支配下に収めた第2次上海事変(37年)、国共内戦(46年~)、共産党による新中国建国(49年)、文化大革命(66~76年)、鄧小平が号令を掛けた改革・開放(78年~)。上海の民衆にとって英国、日本、国民党、共産党と次々と支配者が変わり、改革・開放になってようやく「個」が萌芽した。陸の予言から100年を経てようやく万博を開いたのだ。
在留邦人10万人、70年前と似た状況
共産党によって宣伝される万博までの「上海100年史」。屈辱の近代史において日本は、重い現実を直視させられることになる。
黄浦江を隔てて浦東の向かいに位置する虹口区。第1次上海事変が発生した1932年以降、この地域は「日本人街」として本格的に変わっていく。今も高層ビルに交じり、日本租界当時に造られた古い建物が残り、未来都市・浦東とは全く違った雰囲気を醸し出す。
榎本泰子著『上海 多国籍都市の百年』(中公新書)は「太平洋戦争期にかけて、上海の日本人の数は最も多い時で10万人に達したが、その多くは戦争に乗じて一攫千金を当て込んだ出稼ぎ者や軍属であった」と記している。なぜこんなことに触れたかと言うと、70年の時を経て現在の上海と似た状況が生まれているからである。