私は、産業界があまり受け入れなかった原因は、「会計士のプライド」にあると思っています。苦労して勉強を続け、難関試験を合格した会計士には、一定のプライドが備わります。しかし、企業においては、初めはプライドを捨てて、実務にまい進することが大事です。そのあたりのギャップが、試験に受かった会計士を企業として受け入れることがうまくいかなかった原因だと思います。
落ちっぱなしの会計士試験委員
ちょっと話が変わりますが、私は20代から子会社2社への出向を含めて38年間、経理・財務一筋に、1999年に61歳で会社を辞するまで、「金児昭のペコペコ哲学」を実践して過ごしました。30歳のとき、縁があった小尾毅さんの勧めで、有料で誰でも行ける中央大学経理研究所高等経理科に、3年間、毎日会社業務終了後に通いました(小尾毅さんの詳細については、このコラムの第26回を参照)。
初めの2年間は、内容が難しく、ほとんど分かりませんでした。この講座は公認会計士試験の準備のものであることすら私は知らなかったのです。まして1円の利益を計上し雇用を守る経営が、会社・商店・個人企業にとりいかに重要であるかも知りませんでした。そして、会計監査が、「1円の利益を出す」経営の大切さに比べれば100分の1くらいのウエイトであるにしても、極めて重要な社会のインフラであることも知りませんでした。
そのような状況で、ある日、一念発起して、難関の公認会計士試験に挑戦することを決意しました。しかし、3回挑戦し、実力不足で3回とも不合格でした。
こんな私ですが、47歳のときに「法人税実務マニュアル」(日本実業出版社刊)という本を上梓し、いくつかの学会で経理・財務の実務に関する発表をしていたこともあり、1994年、57歳のときに公認会計士の試験委員となりました。私は「公認会計士試験に落ちっぱなしの試験委員」として、有名になったのです。
もし万が一、試験に合格していれば、日本公認会計士協会の会員になったはずです。会員になっていなかったことが、不思議なことに、私にある種の力を与えてくれました。
いま私は、役所、学会、公認会計士協会、企業、監査法人、諸研究会などから、講演依頼をたくさんいただいておりますが、そこで、私が自由な立場で自分の意見をはっきりと申し上げることができるのは、試験に落ちているからなのです。
講演で依頼されるのは次のようなテーマです。
(1) 公認会計士はいかにあるべきか。
(2) 日本の会計士と欧米の会計士の違い。
(3) 欧米の中堅以上の会社のトレジャラー(経理・財務部長)やCFO(経理・財務最高責任者)がほとんど公認会計士であるのはなぜか。
(4) なぜ日本の上場企業は、若い公認会計士試験合格者の採用に消極的なのか。
(5) 現在の公認会計士試験制度について。今後よりよくするためにはどうすべきか。
(6) 米国公認会計士試験に合格すると世界に通用するのに、日本の公認会計士はそうではないのはなぜか。
(7) 若い会計士の方々の会社実務現場教育は、実質的に企業の側が行っている。監査報酬を払いながら教育までしている実態を、改善する方法はないか。
(8) 金融庁の公認会計士監査審査会の仕事についてどう考えるか。この審査会の方々と、その方々を補佐する金融庁の職員の方々に対する、「企業経営実務」に関する研修はどのようにするべきか。
(9) 公認会計士試験が実務と離れて難しくなりすぎていて、実際の監査業務に生きていないのをどうすればいいか