2024年11月22日(金)

ネット炎上のかけらを拾いに

2017年3月31日

加害者と被害者を話し合わせようとする第三者

 2つの相談に共通するのは、性暴力の軽視だ。被害者が「工夫」し、加害者の気持ちを汲むことで性被害が防げるはずだという軽視。

 数十年前、体罰は今ほど問題視されていなかった。体罰をされる生徒にも問題があり、教師には体罰を行わざるを得ない状況もあると解釈されていた。いじめについてもそうだ。「いじめられる方にも問題がある」という理屈がまかり通っていた。被害の軽視である。体罰・いじめともに、まだゼロになったわけではないが、それでも数十年前よりは、被害者視点での捉え方が一般的になったと感じる。

 新聞に投稿された相談内容が、たとえば以下のような内容だったとしたらどうだろうか。

「父が妹と私に暴力をふるう。やめてほしいと言っても『愛情表現』『話題作り』と言われる」
「同級生から毎日からかいの言葉を浴びせられる。やめてと言ってもやめてもらえない。いじめだと感じる」

 回答者は、「一度お父さんと話し合って」「相手の手を握って『やめて』と言ってみては」と言っただろうか。

 「性的」な加害は「性的」という言葉がつくことで問題を見誤る人が多い。「暴力」や「いじめ」であれば、即刻加害者を止めるべきだという判断をする人であっても、それが「性的な行為」であるというだけで、被害者と加害者を話し合わせようとしたり、被害者が上手に出てやめさせればいいと平然と言う。

 暴力は基本的に強い者から弱い者に対して行われるものであり、それは性暴力も同じだ。しかし性暴力の場合はなぜか、加害者と被害者が「対等に言い合える関係」にあると思い込む人がいる。ひどい場合は被害者が加害者より強いと思っている。壇蜜の回答は、被害者が主導権を取れる立場だとイメージしていなければ出てこない発想だ。

 筆者が学生時代、一時期「いじめにあったら勇気を出して『やめて』と言ってみよう」というアドバイスが流行ったことがあると記憶しているが、現代ではこういう論調の危険さが理解され始めている。だからこそもう一歩、性被害に関してもこの認識を浸透させなくてはならない。性暴力は被害者が「うまい対処法」を考えて防ぐものではなく、加害者に「すぐにやめろ」と言うべきものだ。それ以外はない。

 また、ときとして「被害者の意見だけではなく加害者からも話を聞かなくては真実はわからない」という言葉がもっともらしく使われることもある。しかし、そもそも加害者と被害者の間には強弱の関係があり、第三者の「中立」は容易に強者寄りになることを付け加えたい。

  
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。


新着記事

»もっと見る