2024年7月18日(木)

Wedge REPORT

2010年7月5日

 こうしてみると、日々の発言が軽いだけでなく、自分なりに誠意をみせれば相手も分かってくれるといった鳩山前首相の主観的発想こそ、政治家には危険な非歴史的思考の冠たるものなのである。

 政治家と歴史家の距離が存外に近いのは少しも不思議でない。それはもともと政治と歴史が不即不離の関係にあるからだ。政治家の成功と失敗についてアイザイア・バーリンは、次のような面白い指摘をしている。「われわれは、ある人びとが特定の政治や社会の状況の本質や輪郭を把握するアンテナをもっていると言う。また、ある人びとは政治的に優れた目や鼻や耳をもっていると言い、愛や野心や憎しみが関係するかもしれない政治感覚をもっていると言う。あるいは、難局や危険な状況が形づくるか、(または鈍らせる)感覚をもつと言う。この感覚においては経験、そしておそらく芸術家や創造的な作家がもっているものとはさして違わない特定の才能が決定的に重要である」(バーリンの論文「政治的判断」における指摘、上森氏の引用訳をやや変えた)。

運が尽きるのも「実力のうち」

 この文章を読めば、政治家のリーダーシップが戒心すべきは、過度のユートピア主義やリアリズムの欠如であり、自然科学の方法のゆきすぎた適用だということが分かる。沖縄や外交安保に限らず歴史の総合的な洞察力が苦手の鳩山氏は、歴史の連続性や外交の現実性にうといだけでなく、そもそも難局や危険な状況に対応するセンスそのものが最初から欠けているのではないか、という疑いを国民にもたせるに至った。

 政治家は、歴史上の人物や事件から教訓や智恵を学ぶだけなら、歴史小説を読めば十分である。しかし、政治に必要な人の心理洞察力を訓練するなら、どうしても歴史の古典と向かい合わねばならない。

 他方、政治家には庭師や料理人のように「即興の才能」も必要となる。しばしば奇抜なデザインの衣服を着て公衆の面前に登場し、韓流のドラマや料理に執着する鳩山氏や夫人が、料理人や庭師に必要な「美的才能」に恵まれているか否かについては関心のある向きに判断を委ねればよい。

 しかし氏には、政治家に不可欠な判断力を支える「即興の才能」がないとすれば、安全保障への脅威や突発事件に対応できる瞬発力も鈍いのは当然であろう。現実に鳩山前首相は、宮崎県の口蹄疫災害やギリシャ発経済金融危機はじめ中国艦船の挑発や韓国哨戒艦の轟沈事件への反応が遅すぎなかっただろうか。

 政治家のリーダーシップには運と人気も欠かせない。首相まで上りつめた鳩山氏が強運の持ち主だったことは否定できない。確かに「運も実力のうち」に違いない。同時に、運が尽きるのも「実力のうち」なのである。また、人気というのも危ういものだ。シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』は大衆人気のうつろいやすさを描いた作品として、由来多数の政治家に読まれてきた。ある登場人物はシーザーについてこう語っている。

 「平民どもは街中から追い払ってやるつもり、だから君も奴らが集まっているのを見たら、追い払ってくれ。いま伸びかけている羽根毛、これをさえ奴の翼からもぎとってしまえば、いくら彼だとてそう高翔びはできないはず」(第一幕第一場、中野好夫訳、岩波文庫)。

 もともと政策通でもなく強固な世界観をもつわけでもない政治家が一部のテレビ・マスコミにおける「人気」の幻想によって権力の高みに上ったとしても、大衆有権者という「羽根毛」が「翼」から抜けていくなら、もはや失墜するしかない。大地が柔らかいうちに自ら不時着する潔さを示したのは、せめてもの意地だったというべきか。

◆ 「WEDGE」2010年7月号



 

 

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