2024年4月25日(木)

それは“戦力外通告”を告げる電話だった

2017年5月18日

 チャンスがないわけではなかった。5年目のシーズン前、澤井、鎌田、鉄平が落合博満監督の声掛けにより、1塁ベースに招集された。

 「今から3塁ベースまで一番速く走ったやつを1軍に残す」

 0コンマ数秒の差で澤井に届かなかった鉄平。結局このシーズン1軍にいたのは3日間だけだった。それでも、2軍では3割3分の打率を残した。

 同年秋、10月の教育リーグのメンバーから外れ、代わりに球団事務所に呼ばれる。東北楽天ゴールデンイーグルスへのトレード通告だった。

 寂しい気持ちもあったが、これはチャンスだ、と燃える気持ちもあった」

 「才能が開花する日はもうそこまで来ていた。

 「中日は、よくこんなイイ選手を出してくれたな」。こう評価したのは、この年から楽天の監督に就任した野村克也監督である。実はこのトレードには後日談がある。トレードに出した中日の落合監督も、「鉄平は、ウチでは試合に出られないが、他球団ならチャンスがある。トレードに出したほうが、鉄平のためになる」と、その能力を高く評価していた。新天地でチャンスを得た鉄平は、103試合に出場し打率3割3厘を記録する。

 「野村監督のおかげで、常に考えるクセがついた。感覚だけでやってきたところに、考えが入るようになった」

 レギュラーとなった鉄平は、09年に打率3割2分7厘で首位打者を獲得。

 「人生が変わった……んですかね? 僕の中では特に変わらなかった」

 どこか他人事で、冷静で、素朴な鉄平の雰囲気は、中日での下積みの長さを物語っているかのようだった。

 11年、元々スロースターターである鉄平だったが、キャンプが終わり、オープン戦を消化しても、一向に調子が上がらない。そんな中で、東日本大震災が起きた。

 「自分の中で、大きすぎる出来事だった。野球をやっている場合なのか、と真剣に考え、また、野球と向き合う機会にもなった」

 この年は不安でいっぱいだった中日1年目のときの監督である星野氏が楽天の監督に就任した年。キャプテンにも任命され、気力は充実していた。それでも、ついに最後まで調子が上がることなくシーズンを終えた。

 「走る力も、投げる力も、全く衰えていない。今でも原因は分からない」

 翌年からは、練習量を中日時代並みに増やし、いい感覚が戻るときもあった。それでも、調子の浮き沈みを繰り返し、不安定なシーズンを送る。

 「考えるクセが、考えすぎるクセに変わっていた。いい時の感覚を追いすぎて、自分のバッティングが分からなくなっていた」


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