2024年7月20日(土)

個人美術館ものがたり

2010年7月16日

 2階もまた同様の展示だが、絵の方はどうかというと、隣接して新館が造られていた。地下を伸びる通路を行くと、大きな円形の展示空間にたどり着く。こちらは味わい深い山荘とは打って変って、装飾を排したコンクリート打放しの空間だ。この山荘を美術館として公開するとき、山荘の改修と絵画展示用新館の設計を、安藤忠雄に依頼した。結果としては山荘の建築としての味わいを生かすべく、新館はがらりと違う新空間として、半地下に埋められた。その上部には植栽が施されていて、外からはほとんどわからない。

 内部の湾曲した壁面には、モネの「睡蓮」の連作が並ぶ。歴史価値も含めて考えると、大変な贅沢だ。本館からは離れているので思わず心配するが、ちゃんとガードマンが一人、番をしていた。

 さてこの美術館の成り立ちだが、さまざまな縁と運命がからんでいる。美術館のフルネームは「アサヒビール大山崎山荘美術館」。山崎というとサントリーと思いがちだが、これは間違いなくアサヒビールだ。じつはその下にはニッカウヰスキーの名も隠れている。

 山荘を建てたのは加賀正太郎。実業家だ。先祖からの証券会社を引き継ぎながらも大変な趣味人で、それも好きな物を集めるだけでなく、もっと最上のものをと深入りする。蘭の栽培も海外から原種を取り寄せて、品種改良や交配もして『蘭花譜』という画集も出している。ゴルフでもプレイするだけでなくゴルフ場(茨木カンツリー倶楽部東コース)の設計をしている。家具や調度品も自分でよくデザインしていたようで、そんな中での最大の作品がこの大山崎山荘だ。

 構想から完成までには約20年を要した。この土地を選んだのは、ヨーロッパ旅行のときのイギリス、テムズ川の風景が強く頭にあったからだという。土地を切り拓くと、まずは奥まった場所に白雲楼と呼ぶ塔屋を建てた。そのてっぺんの部屋に寝泊りしながら設計図を引き、建築の指揮をとったという。

上:加賀正太郎    
(1888~1954年)
写真提供:加賀高之
下:山本為三郎   
(1893~1966年)

 羨ましいほどの完璧主義だ。プロの建築家とはまた違って、極点まで行く趣味人の凄みというものだろう。ぼくは何となく、藤井厚二(1888年~1938年)の「聴竹居〔ちょうちくきょ〕」を思い出した。この人はプロの建築家ではあるが、やはりこの近くの山麓に、自分の考え通りの家を造っては譲り、造っては譲りして、その一戸だけ現存する「聴竹居」を見る機会があった。どことなく共通するのは、経済性を離れたところでの熱意の完全燃焼だ。

 聞くと二人はやはり同時代で、交流はあったらしい。どうもこの一帯には、ある種の文化的空気が満ちていたようだ。展示されているコレクションはアサヒビール初代社長の山本爲三郎のものだが、この人は柳宗悦の興した民藝運動の強力なパトロンで、加賀とも交流があった。加賀はその前に醸造家の竹鶴政孝(1894~1979年)と親交がある。竹鶴は寿屋(1921年に創立。63年、サントリーに社名変更)でウイスキー製造に従事して、同社山崎工場長を務め、退社後に独自のウイスキー造りを目ざす。その熱意に打たれて加賀は会社設立資金の大半を出資し、後にニッカウヰスキーとなっている。


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