そこから、1: 勉強(ほとんどしなかったが)→ 2: 仕事&家族(=結婚と子育て) → 3&4: リタイア後の社会貢献と本当に自分がやりたい事(いつかバックパッカー宿をやりたい)をやる事が王道だと思うようになった。あれこれ苦労して旅をして、何者かではない自分を探して来たのだが、back to basic と言った感じ( ただし、これを誰かに押し付けようなどという気持ちは毛頭ない)で、当たり前の生き方で良いのだと妙に納得した。世代を超えて受け継がれる人生観には、多くの人が試行錯誤した後の1つの解があるように思う。
全てがこの考えによるものではないが、自分が辛い時でも仕事で粘れたのも、ある日、自然と結婚しようと思ったのも、子どもを祝福し、子育ても全力でしようと思ったのには、少なからず、旅とその後の出会いで合点がいったインド哲学が背中を押してくれた。
今は、仕事をして、家族と元気であれば良いのだと。
インドへの期待と課題、バラナシの呪いと、そして感謝
日本を始め、たくさんの国が、先進国への成長の過程の中で、効率性を旗頭に、伝統的な家族観や価値観を横においやって経済に没頭してきたように思う。現在、世界最高の成長率を誇り、世界第7位の経済規模を誇るインドで、そのような兆しは未だ僅少だ。家族、宗教のために仕事をしていて、家族のためとあらば、みんなが仕事を上がり、それをとやかく言う雰囲気は皆無である。なんと言うかオリンピックの間は戦争はしない古代ギリシャのように、家族では何かあった場合(このハードルは日本より非常に低く、親族の範囲も広範で当初戸惑ったが)、遠慮なく休むという不文律がある。多くの社会問題を孕みつつも、温かい人間関係を基盤としながら、社会の発展を成し遂げようとするインドには、これまでの欧米キャッチアップモデルとは一線を画す新しいアジアの成長を期待してしまう。そうしたら本当にすごい国になるだろう。
一方で、伝統的な価値観が、女性の選択肢を狭めたり、ヒンドゥー教徒以外(ヒンドゥー教がインドで大多数の宗教)の価値観を認めないといった行き過ぎになる事件もしばしばあり、ここはもう少しリベラルな考えとのバランスが重要である。
余談になるが、駐在員の間に"ガンジス河の呪い"なるまことしやかに囁かれるジンクスのようなものがある。それは駐在中に、ガンジス河の水を浴びないと、帰任しても、またすぐにインドに呼び戻されるというものである。事実、帰任したがすぐにインドに呼び戻されなかった人は、「ああ、ガンガー(ガンジス河の現地呼称)に行きそびれたわー」と苦笑するのが、ネタである。
私は生活も仕事も大変だが、刺激的なインドにまた戻って来ても良いかなともいう思いで、額に少しだけ茶色い水を付けるだけにした。
そんな訳で、悩める旅から生まれ変わり、インドの仕事では取締られ役として、妻と歩む夫、家族を養う父として、聖地バラナシの流れの前に再び立つというのは、まさに感慨ひとしおとなった訳である。
最後に、大変な環境でともに奮闘してくれた家族、そして、家族に親切にしてくれた全てのインドの友人、社員、ドライバー、ハウスキーパー、ベビーシッター、レストランや飛行機内で寛容な目で子どもの相手をしてくれた全てのインド人に感謝したい。
一家ともども、インドで過ごした日々を忘れることはないだろう。
バホット ダンニャワード(本当にありがとうございました。)
バラナシの地にて
田永志朗
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