帰任が決まり、聖地バラナシへ
日本への帰任が決まり、導かれるようにガンジス河のほとりでヒンズー教の聖地バラナシにやってきた。今回で2回目。一度目は17年前の学生時代に一人で、今回は家族を連れて悠久の流れを眺めている。家族を持ってインドで仕事をし、ヒンズー教の聖地に再訪を果たすことに、不思議な因果を感じる。今回は、インド取締られ役のイクメン日記の最終章として、インドと私のイクメンの繋がりを記させていただきたい。
社会に出ることの背中を押してくれたインド
17年前の話。バブル崩壊後の失われた20年の真っ只中に大学時代を過ごした私は、社会に希望を持てず、ささやかな抵抗としてバックパッカーによる自分探しを試みていた。中南米、アジアを旅した。楽しかったが、所詮は外こもり、自分の居場所ではない気がしていた。そして、トルコ、イラン、パキスタンを経て、インドに辿りついた頃、半年に及ぶ移動にも疲れていた。バラナシからコルカッタ行きの三等車の車窓。着の身着のまま親子が砕いた岩を運びながら、ホースから湧き出る水しぶきを浴びて満面な笑みで笑っていた。理由は分からないが、全力で生きている人の強さを感じた。ショックだった。経済的には何百倍も恵まれているはずの自分にあの様な笑顔は出来るだろうか、いくつもの旅の景色が折り重なり、もう自分探しなんかしている場合ではないと悟った。自分がいかに恵まれた環境で甘えていて、やろうと思えば何でもやれる環境にいるのだから、日本社会で頑張ろうと思えたのだ。インドのバラナシのあの景色がなかったら、社会との仲直りは出来なかった。
インド哲学とサラリーマン道、イクメン道
留年の末に、一念発起して会社員になった。その後も、まだ旅と社会のバランスに迷い、元パックパッカーやヒッピー上がりの人たちの話を聞き漁っていた。ある日出会った有名なヨガの先生に、自分のインドでの経験を話すと、ヒンドゥー教の四住期という言葉を教えてくれた。エッセンスを自分なりに大雑把に掻い摘むと、人には
1: 学んで独り立ちする時期、
2: 仕事をし、家族、子どもを養う時期、
3: 一戦を退き後世を見守り、自分を見つめる時、
4: 臨終を迎える時(自分は本当に好きなことをする時期と解釈)
があり、それぞれの役割を全うすることで人は輝くという話だった。
これまで出会って来た多くの旅人の中でも、家族、取り分け、子育てをした人がどこか温和な笑顔を浮かべていたことを思い出した。