「こんこんさん」の名で愛された
「お稲荷さん言うたら、商売の神様。大阪・船場という場所で、商売繁盛のイメージに結びついたのが良かったんじゃないかなあ。最初は『こんこんさん』と呼ばれたそうです」
縁起がいい食べ物だと人気を博し、店は繁盛。ところが戦争の時代に突入する。従軍した2代目・辰一氏は傷痍兵として帰され、店を続けたものの、大阪は昭和20年(1945)3月に大規模な空襲を受けた。
「僕はそのとき、生後4カ月。お母さんかお祖母さんに背負われて逃げたらしい。このあたりはきれいに焼けたみたいよ。うちはお祖父さんの実家、愛媛県壬生川町(にゅうがわちょう)(現西条市)に疎開しました」
戦後、大阪に戻った辰一氏は、ご飯とうどんを一緒に煮込んだおじやうどんの提供を始め、人々から喜ばれた。辰一氏からの聞き書き本『きつねうどん口伝』(ちくま文庫)には、こう記されている。
〈材料がのうなって私が考えついたおうどんなんです。(略)あるもんをうまく生かそう思(おも)て出来たんがおじやうどんなんです。これやと麺もご飯も半分ですみまっしゃろ〉
辰一氏は進取の気性に富むアイデアマンで、高度経済成長期に入るとさまざまな新メニューを出した。〈昔のままのうどんだけつくってたら、時代にとり残されるんやないか〉(同書より)と感じたからだ。
豚肉の天麩羅を細打ち麺と供する「まつば細打ち麺」、出汁にバターと牛乳を入れた肉うどんの「しゃぶしゃぶうどん」、油で揚げた細打ち麺にとろみをつけた餡をかけた「ソフトうどん」、白ワインを加えた細打ち麺にスモークサーモンやチーズなどを盛り付けた「サラダうどん」……。
息子の芳宏さんも、「冷やし天ぷらうどん」を考案。夏場に売り上げが落ちるおじやうどんの代わりにと開発したもので、冷たい出汁を少々かけたうどんに海老天を添え、大根おろしとレモンで食べる爽やかな一品だ。