戦後日本の漫画を大きくリードした第一人者は言うまでもなく手塚治虫(1928~1989年)。豊中市の出身で兵庫の宝塚で育った。彼はじつはアニメーションが作りたくて、そのための資金をたくわえるために漫画をかきまくったというおもむきがある。じっさいテレビのための「鉄腕アトム」シリーズその他でアニメの産業化を果たしたが、アニメで損しても漫画で赤字を埋めればいいという態度でテレビ局から安く下請けをしたので日本のアニメ製作業を貧しく無理なものにしたと批判する声も少なくない。商都大阪の生まれでもソロバンの弾きかたが合理的でない人だっているわけだ。大量生産したアニメより、個人的な趣味で実験的に作った「おんぼろフイルム」のような短篇にこそ、アニメ作家としても天才だったきらめきがある。
アニメの監督では、日本で最初のカラーの長編アニメの大作「白蛇伝」を作った大阪出身の藪下泰司(1903~1986年)の存在が大きい。宮崎駿は1958年のこの作品に感動して彼がいた東映動画にアニメーターとして入社し、やがて彼の作風を超えるようになったのだ。
アニメーションでは豊中市出身の岡本忠成(1932~1990年)も本当の天才である。教育映画やPR映画の分野でアニメを活用したために一般にはあまり知られていないが、一作ごとに素材や方法を変えて珠玉のような傑作をたくさん残した。民話調の人形アニメの「おこんじょうるり」をはじめ、一見アマチュアのマンガふうな「チコタン」などの短篇はアニメ芸術のひとつの頂点をなすものだと思う。
大阪は昔、近松門左衛門がかずかずの名作を提供した上方歌舞伎の本拠である。多くの名優がいて映画にも進出した。その代表が先代の中村鴈治郎(1902~1983年)である。徹底したリアリストの煮ても焼いても喰えないしたたかな老人といった役どころで時代劇でも現代劇でも比類のない面白い人間味を見せ、そこがいかにも大阪人らしいと評されたりするのだが、それが大阪らしさだって大阪の人たちは納得するものなのだろうか。小津安二郎監督の「浮草」や「小早川家の秋」、市川崑監督の「鍵」などが代表作だろう。
ピーターあるいは池畑慎之介も父親が地唄舞吉村流家元なので関西伝統芸能界の家柄ということになる。ゲイボーイとして松本俊夫監督の「薔薇の葬列」で意表をつくデビューをしたが、黒澤明監督は「乱」で彼を原作の「リア王」の道化に相当する役に起用し、狂言役者のような芝居をさせた。家柄を尊重したのかもしれない。
豊川悦司は八尾市出身。演劇活動からはじめて映画でもちょっとひねた、しかし強烈な根性を持った知的な二枚目として活躍している。堺市出身の寺脇康文は「相棒」の明るくてタフな役で注目されたが、さあどういう方向に進むか。(大阪編続く)
◆次回更新は4月10日(金)を予定しています。