ICU(集中治療室)から一般病棟に移ってからは同級生たちが頻繁にお見舞いに訪れるようになった。最初はベッドの角度を少しあげるだけで貧血になり意識を失っていたが、毎日少しずつ角度を上げたままでいられる時間が延びていった。友達がお見舞いに来たときは話がしたくて、頑張って起きていたこともリハビリに繋がった。
手紙を書きたくて字を書く練習をした。お見舞いに持ってきてくれたものを自力で食べたくて食べる練習もした。
「初めて食べられたのがチョコレートケーキで、『食べられた~』なんて嬉しくて喜んだりしました。たまに歯磨きが面倒くさくて、『お願い、磨いて』なんて言うこともありましたが、日常生活のすべてがリハビリに繋がっていました」
「ぶつかっても怒られない」
ウィルチェアーラグビーとの出会い
急性期治療を終えいったん兵庫に帰り、リハビリと自立訓練の施設に入った。
活発な倉橋はじっとしていることが苦手で、リハビリ以外の時間でも理学療法(PT)士や作業療法(OT)士を訪ねて自主練習に励んだ。また、病院内で仲良しになった仲間と車いすで院内を動き回ったり、ゲームで遊びながら身体を動かした。
「とにかく動きたいし、動けることが楽しくて、PT室、OT室に行って、ひたすらごろごろしたり、病院内をうろちょろしていました」
その後、復学に向け埼玉に戻ってから、国立障害者リハビリテーションセンターで自立訓練の過程でウィルチェアーラグビーに出合った。
これが人生の転機となる。
「人数が少ないから練習に来てよと誘われたので行ってみました。初めて見たときは、車いすでぶつかっていいんや! ぶつかって怒られないなら、私もやりたいなと」
その後、何回か練習に参加するうちに国立障害者リハビリテーションセンターで活動するウィルチェアーラグビーチーム『BLITZ』の練習を見た。それまでツインバスケットボールや陸上競技、水泳、卓球などをやったことがあったが、ウィルチェアーラグビーほど楽しいと感じたものはなかった。
「バスケットボールだとゴールするときや他のプレーヤ―の前ではキュッと止まらなければならないので、かなりしんどいんです。その点、ラグビーは止まらなくてもいいし、ぶつかっても怒られないから楽だし、楽しいんです。本格的にやりたくなったので大学に復学した2014年の終わりころに入れて下さいってお願いしました」
ちなみに倉橋が入ったウィルチェアーラグビーチーム『BLITZ』は、島川慎一(『あの負けがあってこそ~試合中に指切断事故 ロンドン・パラリンピックへの焦り』)をはじめ、幾多の日本代表を擁し、日本選手権優勝8回を誇る国内屈指のチームである。
「はじめはゲームを見ていても競技としての楽しさがわからず、ただ自分が競技用車いすに乗ることだけが楽しかったのですが、そのうちわからないことが悔しくなって、もっとわかるようになりたいから練習しようと思うようになっていきました」