2024年11月21日(木)

パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2017年11月3日

 トランポリンには個人競技、シンクロナイズド競技、団体競技がある。

 「個人競技は出来なかったことができるようになることが楽しく、シンクロは相手を見ながら同じ技をタイミングを合わせて行い、どちらかが失敗すればおしまいですが、個人競技にはない楽しさがありました。大学生で一番レベルの高い大会はインターカレッジですが、私が出られたのは2年生まででした」

 大学3年に進級したばかりの4月に地元越谷市の大会が開催された。その決勝前のウォーミングアップ中に事故は起きた。出場選手にはそれぞれウォーミングアップとして1本だけ飛ぶ機会が与えられる。

 倉橋はなかなかタイミングが合わないと思いつつ、自分のあとに順番待ちをしている選手たちが気になって、「早くしなくちゃ」「行ってしまえ」と飛んだところ、技をかける瞬間、失敗したと思ったのも束の間、上下の感覚を失い、自分がどの態勢にあるのかわからなくなってしまった。

 直後に落下して「うっ!」となったのを最後に息ができず苦しくなった。「ゆっくり呼吸をしろ」という声が聞こえ、少しずつ落ち着いてきた。

 事故直後の記憶は途切れ途切れながら残っている。

 「背中から落ちれば怪我はないと思ったのですが、上下がわからなかったので頭を入れることができずに、そのまま頭から落ちてしまったのです」

 「体操でもトランポリンでも首の事故は起きやすく、首を怪我したらあかんと教わってきたので『あぁ、やってしまった』という感じでした」

 救急隊員に「ここわかりますか?」「いま触っているんですよ、わかりますか?」と何度も聞かれた。まったくその感覚がなく驚いた。「首をやったらあかんと言われてきたけど感覚までなくなってしまうんや」とか、「お母さんに叱られるぞ、なんて言い訳しようか」とぼんやりと考えていた。

 事故現場ではトランポリンが安定するよう男子部員たちが下から背中で支えて救急隊員の処置を援けた。過去に頚髄損傷の事故を経験していたコーチによる的確な指示が幸いし、倉橋は首を動かされることもなく救急隊に引き継がれたのである。

 「担架に乗せられて救急車に向かう途中で『目が開いているから大丈夫だよ』という子どもたちの声が聞こえてきたので、必死で目を開けていたんです。周りを不安にさせたくなくて、救急車に乗るまでは絶対に開けているぞって、頑張って目を開けていました」

 身体の感覚が失われ、怪我による不安について振り返ってもらったところ、

 「あのとき不安らしい不安というのはなかったんです。明後日友達と遊ぶはずだったとか、学祭のダンスのリーダーなのにそれができなくなったとか、先生になって子どもたちとドッチボールがしたかったのに、できなくなったらどうしようとか、先々のことはそれほど不安に思っていませんでした。私よりも周りの人たちの方が焦っていたんです」

 「看護師さんから『泣いてもいいんだよ』と言われましたが、なんで泣くの? なんて思っていたくらいなんです」

 「人によっては自殺を考えてしまうと聞いていますが、私はそこまで考えたことはありません。自分の状態を深く考えていないというよりは、『なんとかなるやろ』と思っていたんです」


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