2024年11月22日(金)

No Science, No Business

2010年10月23日

 「夢の技術」の中には、頭の中でイメージしているうちは素晴らしいように思えても、現実のハードウェアに落とし込むと、想像よりもずいぶん物足りなかったり、想像外の不愉快さがあって、結局ものにならないというものがある。

 腕時計型の電話とか、テレビ電話、バーチャル・リアリティ、それにひょっとするとARも、そういう傾向の技術だ。

 3D映像もまさにそれで、平面よりも立体のほうがいいに違いないという漠然とした思い込みだけでは、うまくいくことはない。

 ハイビジョンですら、高付加価値商品とされていたときはそれほど伸びず、アナログ停波が近づき、値段も大幅に下がってからようやく普及しはじめたわけだ。

 そもそもメガネをかけて、しかもテレビに正対して見るというのでは、今のテレビ視聴のあり方からは、かなりずれている。3Dテレビを買った人も、数回試した後は飽きてしまうのではないだろうか。 

 それは、コンテンツの不足と言う事とも関係ない。なぜなら、家庭用のテレビでは、どんなにがんばっても、劇場で見る『アバター』のような体験は実現できないからだ。

 『アバター』でいちばん印象に残る奥行き感の演出には、両眼視差や輻輳は使われていない。

 それでもあれだけの体験になるのは、スクリーンまでの距離が数m~10数m離れていて、かつ画面が視野の広い範囲を覆っていることが大きい。この二つがあることで、非常に遠くに等身大の人がいる感じも得られる。

 しかし、家庭用テレビでは、広く視界を覆うほど画面に近づくと、距離が近くて目の焦点距離と輻輳が矛盾する。距離を離してみると、画面が小さいために、小さな小窓で近所を見ている感じになって、人物も遠くにいるというより、小さな人に感じてしまいかねない。

 そういう意味では、家庭用3Dテレビは、劇場の3D映画の体験を、家にいながら再現する事には、あまり向かないハードウェアだ。

 だから、今度の3Dテレビの失敗は、メガネを必要とするものだったのが原因で、裸眼立体視ならいけるだろうと開発に走ると、それも少々見当違いということになるだろう。

 しかし、だからといって3Dディスプレイの存在に意味がないかというと、決してそんな事はない。あまり賢く考えすぎて何もやらないよりも、作ってみると案外別方面に道が開かれたりするのが、この世の面白いところではある。

 たとえば、ニンテンドーの3DSは、ディスプレイの映像を縦線のスリットで隠して、右目から見える像と、左目から見える像を違える方法で裸眼で立体感を表示する。

 このやり方だけだと、静止画はぺらっとした平面が前後にあるような立体感しか作れないし、ディスプレイのサイズが小さいので、奥行きも飛び出しも、それほど大きく作る事はできない。


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