兄2人と一緒だった留学時代
与正氏が留学したのはスイスの首都ベルンのLiebefeldという地区にある公立小学校(Liebefeld Hessgut)だ。富裕層の住む地域というわけではない普通の住宅街で、北朝鮮大使館から直線で4キロほど離れている。
私が入手した小学校の学籍記録によると、「チョン・スン(Chong Sun)」という偽名を使っていた与正氏が編入したのは1996年4月23日。まず外国人向けのドイツ語補習クラスに入り、翌97年8月に小学3年の正規クラスに入った。在籍記録が残っているのは2000年7月までだが、消息筋によると、小学6年生在学中の2000年末ごろに退学して帰国した。
与正氏の誕生日には諸説あるが、学籍記録では88年1月1日生まれ。金正日総書記の料理人として一家と親交があった藤本健二氏は、1987年9月26日生まれだと著書に記している。
長兄の正哲(ジョンチョル)氏は1993年から98年まで、「パク・チョル(Pak Chol)」という偽名でベルン・インターナショナルスクールに通った。
正恩氏は「パク・ウン(Pak Un)」という偽名を使い、兄と同じインターナショナルスクールに96年夏に入ったものの、数カ月で退学。その後は妹の通う公立小のドイツ語補習クラスに1年ほど在籍してから、隣接する公立中学校(Liebefeld Steinhölzli Oberstufe)に編入した。中学校の学籍記録によると、正恩氏は98年8月10日に7年生として入学した。退学時期は書類に記録されていないが、担任教師の記憶では2000年12月に「帰国する」と告げて学校に来なくなったという。
兄弟の留学時期を整理してみると、正哲氏が93〜98年、正恩氏が96年夏〜00年末、与正氏が96年4月〜00年末ということになる。
正哲氏がLiebefeldのマンションに住んでいたことは、日本のテレビ番組制作会社「ジン・ネット」による2005年の取材で明らかになっていた。そして、私が入手した公立中の記録にあった正恩氏の住所地を訪ねると、そこは正哲氏の住んでいたとされるマンションだった。与正氏の記録は入手できていないのだが、兄2人が同じ時期に、同じマンションに住んでいたのなら、妹も一緒だったと考えてよいだろう。公立小・公立中からは徒歩数分という距離である。