2024年4月20日(土)

古希バックパッカー海外放浪記

2018年2月25日

KK(コタキナバル)の出身地別の華僑会館を訪ね歩く

 『(第5回)ボルネオ華僑のファミリーヒストリーから読み解く20世紀』で書いたように、KKのチャイナタウン・ガヤ通り周辺には華僑系商店が軒を連ねており、華僑の出身地ごとの華僑会館があったので訪問してみた。

KKのガヤ通り入口に建つ海南会館。3階から上はホテルとして営業

 海南会館(会員1200名)で女性職員から海南会館80年史を貰った。1927年に木造二階建ての開館を建設。戦火で焼失後、1963年に鉄筋コンクリート四階建ての会館を再建。その後6階建てに増築して現在は2階以上をホテルとして営業。

 海南会館の初代会長、林延藻は海南省文昌県出身、シンガポール英校卒業後ボルネオに移住。1871年以降清朝同治・光緒年間に海南省から亜庇(KKの中国名)に数百人が移住したのがKK海南華僑の開祖である。

 次に訪問した福建会館(会員500人)でも職員から80周年史をもらった。

KK郊外の名門ゴルフコースであるサバ・カントリークラブに隣接する福州会館

 またKK郊外の名門サバ・ゴルフクラブに隣接する福州会館はクラブハウス、体育館、講堂を備えた堂々たる複合施設で会員1万人と聞いた。その他に潮州会館などKKには合計15の出身地別の華僑会館があるとのこと。

ガヤ通りの潮州会館
KKの福州会館の一階部分は体育館となっていた

客家公館(会員6000人)

 前述のI氏の論稿によると「客家は元々北方の民族であるが、その排他性の高い思想と高い権力指向により孤立し、全国の内陸部に離散していった歴史がある。日本の平家の落人に似たグループである。現在の中国では、客家は四川省と広東省を中心に居住しているという。

 離散(Diaspora)した歴史から客家をユダヤ人と比較する論説もあるし、各地にネットワークを広げる秘密結社的雰囲気からフリーメイソンになぞらえる論考もあり、客家にはどこか謎めいたところがある。

ガヤ通りの客家公館の女性職員とオジサン

 ガヤ通りの客家公館を訪問すると休日にも関わらず,職員の女性が応対してくれた。英文名称はKK Hakka Association。公館では人寿互助会を組織して客家幼稚園から葬儀会館、公園墓地まで運営している。まさに“揺り籠から墓場まで”をカバーする共同体である。

 KK客家公館の上部組織として全国マレーシア客家公館がある。毎年KLに各地の客家代表が集まり客家大会を開催している。同時に“歌楽節”(音楽祭)と称してマレーシア客家カラオケ全国大会を開催している。

 KK客家公館の数年前の記念行事に寄せられた祝辞をみると客家のネットワークの広さを実感する。全米客家協会、中華民国(台湾)客家委員会、広東省人民政府僑務弁公室主任、香港宗正総会、恵州市外事僑務局、等々夥しい数の祝辞である。


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