2024年11月22日(金)

古希バックパッカー海外放浪記

2018年3月11日

 2017年8月15日、NHKは戦争記念日特集で悪名高い“インパール作戦”の実相に迫った。日本軍は約9万人を投入。これにインド側ではチャンドラ・ボース率いるインド独立国民軍6000人が呼応。最終的に約6万人が落命したが、4万人近くの死者は戦闘ではなく撤退途上での飢餓・病気が原因だとされる。

 司令官として指揮した牟田口廉也中将はジンギスカン作戦と称して数千頭の水牛を徴発して行軍の荷役にあて最後は食糧にしようとしたが、平地で生息している水牛は慣れない山岳地帯を越えられず失敗したことなど興味深かった。

 しかし最も戦慄したのは、戦後20年経過したときに録音された牟田口氏の肉声であった。「牟田口のバカ、バカと戦後ずっと罵られてきたのです。しかし、あの作戦は絶対必要であったという自分の信念はやっと証明されました。英国の元軍人が日本軍には悩まされたと書簡を送ってきたのです」と歓喜の声で語っていた。

 敵方の元軍人の些細な個人的感想を拡大解釈して自己弁護し、無謀な作戦を正当化しているのである。

KK市内の警察署。日本軍の抗日ゲリラ討伐隊本部が置かれた旧ジェッセルトン・ホテルが警察署の裏の敷地にあった

クンダサン近郊の部落の“しゃれこうべ”

 2016年12月の週末、筆者が逗留していたKKのゲストハウスに青年海外協力隊員のM青年が投宿した。クンダサン地区でキノコ栽培を指導しているという。

 M青年によるとクンダサンのあたりの村落では家の玄関の軒先に“しゃれこうべ”が飾られているという。サバ州北部山岳地帯の部族は元々は首狩族であった。

 クンダサンはサンダカンからラナウに向かう途中にある山岳地帯の町である。日本軍がサンダカンからジェッセルトン(コタキナバル=KKの旧名)へ“北ボルネオの死の転進”を行ったルートもクンダサン、ラナウを経てジェッセルトンを目指した。

 落ち武者状態になっていた日本軍は首狩り族の格好の攻撃対象となったようだ。M青年によるとクンダサン周辺の人々は現在でも狩猟に毒吹矢を用いているという。

手前のイスラム風建築が英国植民地時代に建設されたKL中央駅舎

 密林で毒吹矢を構えた首狩り族の待ち伏せに遭っては、飢餓状態で朦朧としている日本兵はたまらない。日本側の残存兵の記録でも首狩り族の恐怖が語られている。首狩り族は鉄兜、日本刀、飯盒など戦利品と一緒に日本兵の首級を持ち帰った。

 現在でものどかな村落の軒先にはしゃれこうべと一緒にこうした戦利品も飾られているという。光景を想像するだけで、落命した日本兵の無念さに心が痛む。

⇒以上 第9回に続く

  
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