ほかにも、地域安全マップづくりには、非行防止や地域防犯といった効果も期待できる。
子どもたちは、グループワークを通して、コミュニケーション能力を伸ばすことができる。マップに装飾を施す作業の目的は、能力的あるいは性格的にコメントを適切に書けない子どもにも役割を与え、マップの完成に貢献したという証拠を残すことである。そうすることで特定の子どもが排除されることを防ぎ、子ども同士の仲間意識を高めようというわけだ。
また地域安全マップづくりには、シティズンシップ(市民性)教育という要素も盛り込まれている。子どもたちは、街歩きを通じて地域社会への関心を高める。住民へのインタビューも、情報収集というのは建前で、本音は子どもと住民との信頼関係の構築にある。
要するに、地域安全マップづくりには、子ども同士の絆の強化、さらには近隣住民との絆づくりが期待できるのだ。こうした社会的な絆は子どもを非行から遠ざけることが分かっている。
さらに、地域安全マップづくりによって、犯罪機会論の考え方が親や住民の間に広まれば、地域を基盤とした防犯活動が理論的な指針を得て、無理なく無駄なく展開されるようになる。その意味で、地域安全マップはコミュニティ・エンパワーメントの手法でもある。
心のケアを理由に安全教育を否定するのは本末転倒
こうした効果が認められる一方、「地域安全マップは被害者を傷つける」という批判もある。「危険な場所になぜ行った」と責められるというのだ。しかし、これはおかしな理屈である。むしろ論理のすり替えと言ってもいい。注意を怠った者を責めることになるから注意そのものをしないとは、何とも無責任な話だ。被害者が責められる可能性があるからといって、ライターを使った火遊びや工事現場でのかくれんぼを許したり、台風接近時の登山や海水浴を認めたりはしないだろう。
危険なことは危険だとしっかり教える安全教育と、被害に遭ったときの心のケアは別次元の問題だ。心のケアを理由に安全教育を否定するのは本末転倒である。
ここまで読んできて、子どもの景色解読力を高めるのは正直難しいと思ったかもしれない。そう、確かに難しいのだ。しかし、だまされるのを防ぎ、同時に、人間不信やコミュニケーション阻害といった副作用を抑えるには、これしかない。犯罪者だって、子どもをだまそうと日々研究に没頭しているではないか。
何せ子どもの命がかかっている。それなのに、大人たちは、笑いを誘うような軽いノリで扱い、随分と悠長に構えている。例えば、「いかのおすし」は、子どもならだれでも知っている防犯標語だが、その正体は大人が面白がる言葉遊びにすぎず、肝心の中身である「知らない人にはついていかない。知らない人の車にのらない。危ないと思ったらおおきな声を出す。その場からすぐ逃げる。大人の人にしらせる」を正しく言える子どもはほとんどいない。
やはり、子どもの視点に立った、真に役立つ教育が必要である。大人の「やっている感」で終わらせてはならない。どんなに難しくても、発達段階に応じて算数や英語を教えるように、景色解読力も、少しずつ、でも確実に、そのレベルを高めていく努力をすべきではないのか。
景色を見ながら、安全と危険のポイントを解説した写真集として、『写真でわかる世界の防犯 ――遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館)があるので、ぜひ参考にしていただきたい。知的チャレンジを積み重ねれば、どこに行こうが、景色が発する警告メッセージに気づき、絶体絶命の場面を事前に回避できるに違いない。
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