科挙試験に受かることのみを目的に学問にはげむ
納富は教育事情に興味を示す。
「清國當今ノ風、兒童六七歳ヨリ學ニ入リ」、商家の子弟までも学塾で勉強に励んでいる。それというのも「清國ハ固ヨリ文學無雙ノ國ニシテ、コレニ因テ國家ヲ治ムルコト論ナシ」。
「文學」、つまりは儒教古典である四書五経の思想によって国家を治めてきたからだ。だが時代が下るに従って志は失せ、科挙試験に受かることのみを目的に学問にはげむようになった。こうして現在では「自ラ虛文卑弱ニ落チ、遂ニ自國ヲ治ムルコト能ハズ」。「内長匪ニ苦シメラレ、外夷狄ノ制ヲ受ク。實ニ清國ノ危キコト累卵ノゴトシ。憐レムベキコトナリ」。
かつての「文學無雙ノ國」も今や志を失い、遂に内からは太平天国軍に揺さぶられ、外からは列強に蚕食されるがまま。清国の直面する危機的状況は「憐レムベキ」ことだ。
納富は「虛文卑弱」の実例を次のように記している。
ある日、詩を書いた扇を持ってきた中国人がいた。その詩に「納貢ノ事ト蠻王云々ノ句」と日本を見下す部分を見つけた会津藩士の林三郎は、「勃然トシテ大イニ怒リ、即チソノ扇ヲ抛ツテ曰ク、我神國ノ天皇ハ萬古一系革命有ルコトナク萬邦ニ比スベキナシ。〔中略〕憎キ腐儒生甚ダ以テ無禮ナリト云」った。
ーーさて一気に頭に血をのぼらせた林は、顔面に青筋でも立てながら、「我が神国は畏れ多くも万世一系の天皇陛下が治め賜うておられるのじゃ。キサマらの国とは大いに違い申す。どこのウマの骨やも知れぬ下賎の身が権力欲の赴く儘に力に任せて天下を私し、これを革命などと賞揚せしは笑止の沙汰。キサマが如き腐れ儒学徒が、無礼千万。生かしておくわけにはいかぬ。そこに直れ」などと、あるいは腰間の利刀に手を掛けた――
こんな展開であったら、その施渭南と称す中国人は林の剣幕に驚き、さぞや胆を潰したはずだ。
かくて施渭南は、「坐ヲ立ッテ拜謝シ、乃チソノ句ヲ削リ改」めた。素直に自らの非を認めたのか。それとも、ここは謝っておくに限るといったところか。それにしても、この緊迫した情況を、まさか筆談で応酬したわけではなかっただろう。
その後も彼は毎日やって来て熱心に話していたというから人懐っこいのか。忘れっぽいのか。ウマが合ったのか。それとも日本人の腹の底を探ろうとしていたのか。
ある日、千歳丸一行の宿舎を訪ねて来たオランダ商館長を見て、施渭南の「顔色土ノ如ク戰慄シテ立」ってペコペコとお辞儀し、慌て立ち去った。北京では一角の人物として知られた施渭南にして、この卑屈さである。「カクノゴトク異人ヲ恐怖スル國勢ノ情態、歎ズルニ堪ヘタリ」。なぜにそこまで異人を恐れるのか。
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