2024年11月22日(金)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2018年4月25日

 カンボジアは、ASEAN(東南アジア諸国連合)10か国の中でも、一番中国寄りだと言われる。この岡崎研究所のコラムでも最近取り上げた「孔子平和賞」(中国がノーベル平和賞に対抗して創設したもの)の2017年の受賞者は、カンボジアのフン・セン首相だった。受賞理由として挙げられているのが、フィリピンが提訴した南シナ海問題での常設仲裁裁判所の判決(中国の主張や行動を国際法上の根拠がなく違法とほぼ判断したもの)を批判したことだそうだ。

 そんなカンボジアを、今回、河野外務大臣が訪れ、同国に借款や無償援助を供与した意義は大きい。特に、フン・セン首相を表敬し、「自由で開かれたインド太平洋戦略」への協力を取り付け、それを実際に、無償資金援助を通して具体化することが出来たことは、この地域の安定と発展に大きな成果があったと思われる。約5億円に上る日本からカンボジアへの供与のうち、税関監視艇2隻の贈与は、それらを保有していなかったカンボジアの海上での法執行能力を飛躍的に高めることになる。小型船舶等による密輸防止に使用されるとされ、北朝鮮への国連安保理決議に基づく制裁を確実化することにも役立つだろう。

 カンボジアは、この7月に国政選挙を迎える。いかに民主的選挙が行われるかが問われているが、野党が解党させられたということがあり、メディアからは批判や懸念の声がある。 

 振り返れば、四半世紀前の1992年、日本が、初めて自衛隊をPKOに派遣したのが、カンボジアだった。日本は、国際社会の中でも、積極的に、カンボジアの和平と復興、そして民主化プロセスに関わってきた。その過程で、日本人が犠牲になることもあった。1993年のカンボジア総選挙に国連監視団にボランティアで参加していた中田厚仁さんと、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)文民警察官の高田晴行警視である。今回、河野太郎外務大臣は、お二人の慰霊碑に献花した。4月8日は、中田さんの命日でもあった。

 その意味からも、日本がカンボジアの民主化に無関心であるわけがない。しかし、河野大臣も記者の質問に答えているように、ASEAN諸国の民主主義は、様々な段階にあり、すぐに西側の民主主義のようにはいかない。タイしかり、ミャンマーしかりである。民主化プロセスにおいても、ある種、ASEAN WAYを尊重しなければならないのかもしれない。そうしなければ、よりASEAN諸国は中国寄りとなり、民主化に逆行する独裁色を強めてしまう。 

 カンボジアの和平・復興・発展の歴史には、日本外交の軌跡がある。カンボジアが内戦を終結して復興していく国際会議を、日本が主催した。フン・セン氏の眼の手術が、日本で秘密裡に行われたこともある。そして、UNTAC国連事務総長特別代表は、日本人の明石康さんが務めた。そして自衛隊、警察、民間から、様々な人がカンボジアとかかわった。

 安倍総理は、2016年の自衛隊の観閲式の訓示で 南スーダンのPKOに参加していた自衛隊員にカンボジアのPKO隊員が話しかけてきたことを披露した。そのカンボジアの隊員は、自分が幼い時に、自衛隊のお蔭で国が復興した、今度は、自分が南スーダンの復興に役立ちたい、と自衛隊員に謝意を述べたそうだ。日本がカンボジアで植えた「平和の苗」が育ち、今度は、アフリカで、その「平和の苗」が植えられていた。河野大臣が「カンボジアは、安倍内閣の掲げる積極的平和主義の原点」と語ったのは、このことを言ったのかもしれない。

 カンボジアは、中国寄りだが、反日ではない。むしろ、親日的カンボジア人は多いようだ。その証拠に、カンボジアのお札(500リエル紙幣)には、日本の政府開発援助(ODA)で完成した、大河メコン川に架かる「きずな橋」と「つばさ橋」が印刷されている。日本の国旗「日の丸」とカンボジアの国旗が並べて印刷されていることからも、日本とカンボジアの友情の懸け橋と言われている橋であることがわかる。

 そして、現在、カンボジアには、今でも活躍している自衛隊のOBがいる。NPO法人JMAS(日本地雷を処理する会)で、長かった内戦でいまだにカンボジア各地に埋まっている地雷撤去の活動等に携わっているのである。

  
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