――南後さんは、現在サバティカル(長期休暇。大学教諭の場合、研究テーマを携えて主に海外の研究機関に滞在することが多い)でオランダに滞在されています。アムステルダムやロッテルダムなどのオランダの都市と比べ、東京の特徴は何だと感じますか?
南後:現在はロッテルダムとデン・ハーグの間に位置する、デルフト工科大学に在籍しています。まず、同大学の建築学科には日本の大学のように教員それぞれに研究室が個室として割り当てられていません。研究室は、フリーアドレスになっていて、スタッフや学生はどの机を使ってもよいことになっています。
オランダは、山や坂が少なく平らな低地が広がっているという地形の特徴があります。歴史的に洪水などの水害に悩まされてきたため、堤防や水門によって自然を徹底的にコントロールしようとしてきました。このフラットな低地という土地の形態が人間関係などの社会形態にも影響しているのか、オランダは大学の研究室のフリーアドレスにしても、ジェンダーや同性婚に対する考え方にしても、オープンでフラットな社会形態を持ち合わせているように感じます。
一方東京は、漫画喫茶、チェーン店系のカフェ、ファストフード店などを見ても、視線を遮る装置であるパーティションで細かく仕切られた「ひとり空間」が集積しています。この点は、オランダ以外の都市と比較しても、東京の特徴的なところではないでしょうか。
日本人は他人と視線を合わせるのが苦手で、学校・職場以外の場所で人と付き合うのが得意な方ではありませんし、むしろ帰属集団のソトにいる他人を遠ざけようとする傾向があります。余談ですが、電車などで日本人がよく身につけているマスクも、他人と関わることを避け、互いの距離を保とうとするパーティションの一種として捉えることができるかもしれません。
――そもそも、まず社会学における都市とはどのように定義されているのでしょうか?
南後:都市社会学の古典に、シカゴ学派があります。シカゴ学派のルイス・ワースはアーバニズム、すなわち都市的生活様式は「人口の規模」「密度の高さ」「異質性」によって規定されると定義しました。これらに加え、本書では「移動可能性(モビリティ)」が、都市における「ひとり空間」のあり方を考察する上で重要になると考えました。
昔の農村では、同じ農村で生まれて、同じ農村で死んでいくというパターンが多いため、流動性が低いと言えます。一方、東京のような都市では進学や就職を機に上京し、ライフステージに合わせて引っ越しを繰り返すなど、流動性が高いと言えます。外国からの移住者や観光客も多いですよね。要するに、移動可能性が保たれているのが、都市の条件です。そのことはなにも人の移動だけに限らず、資本や情報も同様です。
また都市では、そうして移動してきた人びとのために、さまざまな飲食店や商業施設が用意されてきました。これらは江戸時代にはすでに存在していました。江戸には寿司や天ぷらの屋台が軒を連ね、それらは基本的に単身者向けのものでした。当時の江戸では、参勤交代の藩士、上方からやってきた商人など、人口の多くを単身者が占めていました。