2024年12月23日(月)

オトナの教養 週末の一冊

2014年2月14日

 昨年12月、イオンモール幕張新都心がオープンするなど、様々な場所につくられるショッピングセンター、ショッピングモール。実際に1990年以降多くの施設がつくられている。もはや私たちの日常生活の一部と化していると言っても過言ではないこれらの施設は、一体私たちの社会の何を映し出しているのか。また増加傾向のモールに私たちは何を欲望し、モール側は私たちに何を提供しようとしているのか。そんな疑問を『モール化する都市と社会 巨大商業施設論』(NTT出版)を昨年10月に上梓した社会学が専門の早稲田大学教授の若林幹夫氏、日本女子大学専任講師の田中大介氏、明治大学専任講師の南後由和氏の3氏に聞いた。

ーーショッピングモールは増加していますし、日常的に利用している人も多いと思います。南後先生、田中先生は70年代生まれで、若林先生は60年代生まれということで、それらの施設について考える出発点が違うのかなとも思います。それぞれの問題関心の出発点について教えてください。

若林氏:今郊外的なもの、あるいはそれを超えて都市的なものを端的に表しているものは何かと言えば、都心のオフィス街の再開発ももちろんありますが、多くの人たちの日常をつくり出しているショッピングセンターではないかと考えたんです。

 そもそも私が都市について考えはじめたキッカケは、自身が東京の町田で生まれ育ち、郊外コンプレックスのようなものがあったからだったと思うんです。町田には、かつては田んぼや畑が多くあったのですが、のちに建売の住宅や郊外のニュータウンとして大規模に開発されていきました。そんな街を見ていると、のっぺりとして、歴史も風土も感じられなかった。その一方で、大学生だった80年代、渋谷公園通りにパルコが全く新しい都市と消費のモデルとして語られた時代でした。ですから、パルコを起点に消費社会と都市について考えるようになりました。

 でも、後に調べてみると、明治時代から東京の郊外化は始まっていて、たとえば私が教鞭をとる早稲田大学がある高田馬場も昔は郊外だったんですよ。町田に住んでいる頃は、郊外は歴史や風土が感じられないと思いましたが、そうした郊外でも稀薄な歴史性を持っているんだなと。それで郊外についてもある時期から考えるようになったのですが、ショッピングモールというのはそんな消費空間的な都市の問題と、稀薄な歴史のなかにある郊外の問題とが重なる場所だと思うのです。


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