2024年4月25日(木)

オトナの教養 週末の一冊

2018年5月24日

――では、友人などの社会的関係を維持するものとは何なのでしょうか?

石黒:アメリカの大学で、学内を飛び交う電子メールが誰から誰へ送られているかというデータを分析した研究があります。以前は、人種や性別、宗教が同じだと親密であると考えられていて、その効果も確かにあるのですが、それよりも同じ授業を履修しているかどうかがメールを送り合う関係を作ることに強く影響していることがわかりました。つまり、お互いが定期的に参加する「場」を共有していることが、社会関係の維持には重要だと考えられます。

 「場」というのは、誰にでも平等に、ときに強制的に他者と接触する機会を提供します。たとえば、義務教育の小中学校へは基本的に必ず行かなければなりません。そして、学校の教室という「場」にさえいれば、関係性を結ぶ機会が提供される。それが幸せかどうかは別問題ですが。しかし、一般的に、欧米人に比べ、社交的とは言えない日本人では「場」が特に社会関係をつくるにあたって重要になると思います。

――そうすると家族は核家族化し、若者は会社の飲み会に参加せずに、「場」を共有することが減ってきています。

石黒:そうした「場」の減少は、その意味で、社会関係そのものを減少させる可能性があります。実際、私たちの調査でも、地縁は、大幅に減少していました。ただ、「場」の減少と、人間関係の減少は常にイコールというわけではありません。ひとり暮らしや核家族の増加で居住形態は変化し、家庭という「場」を共有する相手は減りました。しかし、たとえば、おじいちゃんと一緒に生活していなくても、おじいちゃんの家へ行けばいいわけですし、付き合いがどういう方法かを問わなければメールやスカイプで付き合いを維持することも可能です。居住形態の変化は、関係そのものを失わせたわけではなく、付き合わないで良いなら付き合わないことができる状況の変化なのです。

 職場でも非正規雇用が増えたり、福利厚生が減少し、社員旅行がなくなった会社も少なくないと聞きますから、付き合いを強制していく「場」は減っています。しかし、個人的に仲良くしたいと思う人と付き合うことは可能です。地域社会を見ても、町内会の組織率などが減ったと聞きます。でも、保育園のママ友は、仕事に家事、育児と大変な日常の中で、緊密に助け合っている方々も多い。保育園は、一定範囲に住む人たちですから、同じ町内ではないとしても近隣です。地域的なコミュニティがあると言うこともできます。

 無縁社会というと、会社へのコミットメントが減少した、地域社会は町内会が成立しないほど崩壊している、といった議論を目にしますが、実際には付き合い方が変わっただけという側面は大きいのです。血縁、地縁、社縁といった「場」の影響力が低下し、選択可能性が増加して社会的関係が個人化した。これは何も近年にはじまったことではなく、社会学では1960年代前後から議論されていました。コミュニティは昔は地縁でてきていたけれど、たとえば自家用車が普及して自由に移動できるようになると、移動した先で一人ひとりがつながっていくようになるのではないかと。最近では、交通機関はより便利になったのに加え、ICTの普及で自家用車の普及とは比べものにならないくらいモビリティが上がっている。

 ただ、誰とつきあうのかについて自由度が高くなることで、人間関係の個人差が現れやすくなる可能性があります。「場」は平等ですが、「場」から解き放たれた関係は、個人の資質と努力で作られていくからです。今回の調査でも、若い男性のなかに、わずかですが、友人数が特に少ない人たちが現れています。なんらかの理由で、友人関係から脱落した若い男性がいる。このあたりが、無縁社会といった不安の一因になっているのかもしれません。

――どんな人に読んでほしいですか?

石黒:まずは同じく社会関係を研究している研究者の方々に。日本では研究者が自分のデータを抱え込んでしまうことが多いので、持っているデータを共有して、もっと丁寧に歴史的な変化を検討しましょうと言いたいですね。日本人の社会関係がどう変化しているのかを調べることで、無縁社会への無用な不安が消えるかもしれないですし、消えないとしても具体的な方策を示すことができる。

 一般の方には、この本を読み解くのはなかなか骨の折れることかもしれませんが、国内外の研究の情勢をまとめた部分だけでも、楽しんでもらえるのではないかと思っています。イメージやなんとなく言われていることを鵜呑みにせずに、データをきちんと見て、全体像を把握することの重要性を感じていただけたら嬉しいですね。
 

  
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