2024年4月26日(金)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2018年6月4日

 ナイの趣旨には賛成である。しかし、いくつか留保を付したい。

 まず、リベラリズムとは何なのか? 何よりもそれは個人の自由を意味するが、他人の自由も尊重することによって、文化的多様性の許容、他者の価値観への寛容性にもつながるものである。それは、かなり「貴族的」とも言えるものであり、衣食住足りた者でなければ、リベラリズムなど標榜できたものではない。産業革命以後、衣食住足りた者が飛躍的に増大し、皆選挙権を与えられたが、それによって問題が生じている。経済状態が悪くなり、格差が広がれば、往々にして、人間はポピュリスト、ファシストの政治家に煽動されて、リベラリズムを圧迫するに至るのである。

 また、リベラリズムは、それを標榜する者のエゴイズムと偽善をヴェールの裏に隠していることがある。米国・西欧の「民主主義促進NGO」は独善主義、かつ利己主義に陥ることも少なくない。彼らは政府の助成金、民間からの募金で生存しているので、いつも成果を求められている。そこで、彼らは途上国の「民主化」を煽り、レジーム・チェンジを実現するのだが、それが以前よりも一層腐敗した政権の登場を助ける、あるいはその国を内戦の巷に投げ込む等の結果を生んでも、責任を取らない。

 さらに言うならば、リベラリズムを支えてきた米国でトランプ大統領が当選したことが、リベラリズムの復活を最も難しくしている。彼は、少数者の権利が向上する中で自分達の権利は制限されてきた白人男性等、リベラリズムの「被害」を受けた者達の支持で当選した人物である。ナイの言う、「民主主義を奉ずる国の集まりG10」にトランプが入る図は想像できない。

 ことによると、この一文におけるナイの目的は、「権威主義諸国がこれから世界の主流になるのだから、米国も彼らと同じように力を前面に出して振る舞えばいい」とする、米国内部での一部論者を戒めることにあるのかもしれない。「民主主義の『第三の波』がリベラルな民主主義に及ぼす脅威」に言及したくだりは、暗にトランプ政権を批判しているとも読める。それならば賛成できる。しかし、いずれにしても、日本が戦後築いた自由で格差の小さい豊かな社会は、米国を凌ぐものとなっており、これを守るのは将来の世代に対する義務である。米国がどうこうと言うより、日本自身の利益として、これを確保していく現実的なやり方を考えていくべきであろう。

  
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