3月14日、ドイツのメルケル首相は第4次政権を発足させた。EUの中でも抜群の存在感を誇っており、まさに盤石といった印象を受ける。これだけの長期政権を維持できるのだから、さぞ政治畑でエリート教育を受けてきた人物かと思いきや、どうやら一風変わった経歴の持ち主だという。その生い立ちは彼女の政治信条にどのように映し出されているのか。『メルケルと右傾化するドイツ』(光文社新書)を上梓した読売新聞編集委員の三好範英氏に、メルケルの生い立ちやその影響、なぜドイツの分断を招いてしまったかなどについて話を聞いた。
――メルケル首相は、一言で言うとどんな人柄ですか?
三好:世の中には、メルケル首相のことを「権力の亡者」などという見方もありますが、私は一言で言えば「誠実」な人という印象を持っています。メルケル首相とは個人的に親しく話す機会があったわけではありませんが、特派員時代の記者会見での記者との質疑応答の様子や、テレビ番組のインタビューを通して見る彼女にはそういった印象を受けます。
その誠実さというのは、彼女の生い立ちや東ドイツでの経歴が影響しているのではないかというのが今回の本での見立てです。
――どんな経歴なのでしょうか?
三好:彼女は西ドイツのハンブルグで生まれましたが、父でキリスト教プロテスタントの牧師であったホルスト・カスナーの意向で、当時としては珍しく西ドイツから東ドイツへ移り住みます。当時、共産主義体制を嫌い、年間数十万人が東から西へ移住していたのですが、非常に確信的な共産主義者のなかには西から東へ移り住んだ人も少数ながらいたようです。
本来、無神論であるマルクス・レーニン主義、つまり共産主義とキリスト教は相容れません。しかしカスナーはキリスト教と共産主義は相反しないという左派的な考え方の持ち主で、牧師としての使命感もあって移住を決意したようです。もともとカスナーは、東ドイツの一部となった東ベルリン地区出身で、故郷で布教活動をするのが義務と考えていたこともあります。
そうしたプロテスタントの牧師を父に持つといった家庭環境が、政治家や人間としてのメルケルに大きな影響を与えたと思います。