元AP通信記者がクラフトビールを創業
米国のAP通信の元記者であるスティ-ブ・ヒンディ氏。ニューヨークでクラフトビールに分類されるブルックリン・ブルワリー社を創業、日本市場でキリンと資本提携して売り上げを伸ばそうとしている。クラフトビールという新しいテイストにより、13年連続でビールの消費量が落ち込んでいる日本のビール離れの流れを食い止められるのか。
ヒンディ氏は1988年にニューヨークのブルックリンでブルックリン・ブルワリーを立ち上げ、いまではニューヨークでナンバーワンのクラフトビールメーカーで、全米では11位。クラフトビール市場は、米国市場ではバドワイザーなど大手ビールメーカーのシェアが落ち込む中で少しずつシェアを伸ばして現在13%にまで拡大、大手ビールの地位を脅かす「クラフトビール革命」が起きている。
なぜ、記者を辞めてクラフトビールのビジネスをはじめたのか。APの記者時代には、中東に駐在し、拉致されるといった修羅場も経験した。その後、マニラ支局への転勤を命じられたが、奥さんが反対したという。「仕事か、家族か」と悩んだ末、ヒンディ氏は家族を選び、ニューヨークに戻った。しかし、ニューヨークではデスクワークの編集作業の毎日。「編集も素晴らしい仕事だが、私のようなタイプには向いてなかった」と、メディアの仕事を辞める決断をした。
その当時、米国のビールはどれも同じ味がするといった状況だった。そうであれば、味の違うビールを作ってみようかと思い、少ない資金でクラフトビールを始めることにした。その後、「I♡NY」のデザインをつくったミルトン・グレーザー氏にロゴのデザインを頼むことに成功した。お代は、「一生、ブルックリン・ブルワーのビールを無料にする」というものだった。
その後、ブルックリン・ブルワーをはじめとして、全米で「クラフトビール革命」が起きた。背景にあるのは、マスマーケティング、大量広告による同じ商品が大量に売れる時代から、スペシャルの商品が好まれるようになったことだ。工業製品でも「インダストリー4.0」と言われるように、「少品種大量生産」から「多品種少量生産」が求められる時代になっているということだ。
コーヒー、アイスクリーム、チーズブランドなどでクラフト感があり高級な商品が売れるなど同じ動きがみられるように、ビールでもその傾向が顕著に見られる。大手ビール会社のビールの売り上げは減少の一途をたどり、特徴のあるクラフトビールが着実に伸びていった。
少品種大量生産時代になる前には、NYのブルックリンにも50近くのブルワリーがあったという。ヒンディ氏は、その時代にあったような個性的なビールをつくっているという。いわば先祖帰りしているということだ。
2003年にクラフトビールのシェアはビール市場のわずか3%だった。ヒンディ氏は、「2015年の目標を10%と言ったら、専門家からは『あり得ない』と笑われた」という。しかし、実際には13%にまで伸ばせた。「今後は25~30%にまで伸びる可能性があり、輸入ビールを加えるとシェア50%を超えるだろう」と自信を示す。
そもそも、クラフトビールの定義とは何だろうか。明確なものがあるわけではないが、米国では小さい規模で、年間600万バレル(約70万kl)以下の生産をするメーカーで、独立していて、25%以上の資本を特定の投資家に持たれていないことなどだという。
ブルックリン・ブルワリーも「巨大な会社になるつもりはなく、当面は会社の規模をいまの2倍にはしたいと思っている」という。
日本でも米国で起きたような「クラフトビール革命」は、起きるのだろうか。ヒンディ氏によれば、「米国と同じ速さで起きるかどうかは分からないが、日本でもクラフトビールは伸びるだろう」と言う。というのも、すでに少なくない日本人が、米国などを旅行することによってクラフトビールの味を知っているからだ。