調理して食べてみるとおいしく、「これだ」と思った。土方はこれ以外にも高級品とされる鍋を買い求め、性能や構造、素材を調べた。アメリカとドイツにも一級品があり、いずれもステンレスとアルミを多層構造にし、かつフタと鍋の密着性が高いものだった。鋳鉄とホーローによるフランス製は、遠赤外線効果はアメリカ製などより高いが、フタと鍋の密着性は低く、無水調理には難点があった。土方は、そこに活路を見出した。これらのいいところを合体させれば「世界最高の鍋も夢ではない」と考えた。
フタの密着性の問題は、自社の鋳造や機械加工技術でカバーできる。「ちょっと苦労するかもしれないが、3~4カ月でメドは立つだろう」と考えた。ところが、出だしからつまずいた。ホーローの加工で協力してくれるメーカーが見つからない。全国の十数社に当たったが、鋳物製品にかけるのだと言うと、みんな二の足を踏んだ。それだけ、鋳物とホーローは相性が悪いということが分かった。そんななか、同じ愛知県の企業が「以前からやってみたいと思っていた」と、引き受けてくれた。試作に着手すると、敬遠されるわけが分かった。ホーローはガラス質の釉薬(うわぐすり)を高温で焼くため、鋳鉄の炭素が飛び出し、表面に泡状のデコボコができるのだった。
また、ホーローを焼き付けると、鋳物に歪みが出てしまうという問題も生じた。容易ではないことを悟った土方は、「PDCA(計画、実行、評価、改善)を回しながら前に進むしかない」と、材質、加工方法などを調整して、目標の品質レベルを目指した。時には「鋳物用の砂など日本で手に入るものではだめなんじゃないか」と疑心暗鬼になったり、「分かったと思ったら、次は間違える」ということを繰り返した。
バーミキュラの外側のホーローは3層加工になっており、一番上は「パールコート」と呼ぶ、高級感のある仕上げとなっている。このパール加工も難題だった。これによって開発期間は大幅に延びたものの、土方が妥協することはなく、足掛け3年で商品化が成った。
トヨタを辞めて入社した時、「町工場が頑張らなければ、日本の製造業は衰退する一途」と、独りうちに秘めた決意が、支えとなった。最終ユーザー向けの製品開発は多くの下請企業が挑戦するところだが、成功例は少ない。バーミキュラは、モノ作りへの使命感と情熱を結実させた稀有なケースといえよう。同社はヒットに浮かれることなく、身の丈を測りながら増産対応やシリーズ品の拡充を進める方針だ。(敬称略)
■メイキング オブ ヒットメーカー 土方智晴(ひじかた・ともはる)さん
愛知ドビー 専務取締役
1977年生まれ
3歳から中学生まで剣道に励んだ。負けず嫌いな性格で、3歳年上の兄とは喧嘩が絶えなかった。特別に関心があったわけではなかったが、中学生の時には家業のアルバイトをするなど、モノ作りは身近な存在だった。
1997年(19歳)
1浪後、神戸大学経営学部に入学。極真空手部に入部したことが大きな転機となった。「こんなに強い人でも、ここまで努力するのか……」と、ある先輩が稽古をする姿に心を打たれた。それまでは、「努力せずにできるように見せる」ことが、カッコ良いことだと思っていた。この時、向き合う対象に真剣にぶつからない、自分の姿勢のほうがカッコ悪いことに気が付いた。
2003年(25歳)
大学を2年休学し、公認会計士試験に挑んだが失敗。ただ、やりきっただけに悔いはなかった。人より3年遅れているので就職先を心配したが、結果ではなく、努力を評価してくれたトヨタ自動車に入社した。
2011年(33歳)
「日本の中小企業、町工場だからこそできる」という強みを活かして、「バーミキュラ」を世界一愛されるブランドに成長させたいと考えている。