アラビア語の新聞・メディアのどこを見ても、リビアへの仏・英と米国を主体にした軍事制裁を「帝国主義」「介入」として反対する論調は、皆無に近い。かつてであれば、1990年代のイラクへの経済制裁や完結的な軍事制裁を、反米・親米を問わずほとんどすべてのアラブ諸国の政府系メディアが非難してきたものだ。「大規模デモ」はアラブ諸国の旧来のイデオロギーを一掃した。「反米」「反西欧」の議論が出てくる場合は、むしろバーレーンへのサウジの軍事介入に「お目こぼし」をすることや、シリアへの制裁がリビアに対するほど本格的でない事を批判するなど、介入を要請するタイプの議論が多い。
このように(2)の「恐怖」と(3)の「情報統制」が揺らぐことで、残すは(1)の「ばらまき」しかないが、非産油国ではもうこれ以上ばらまく原資がなく、資金が豊富な産油国でも隅々まで有効にばらまく手段がない。それによって諸政権の存立基盤の多くが失われ、統治の安定性・有効性を低減させているのが現状である。
「若者」という政治勢力
「大規模デモ」をもたらす社会・経済的背景は、「人口」と「情報」に集約される。アラブ諸国はいずれも、人口のうち30歳以下が6割前後を占める。35歳以下は70-75%にもなる。社会の大多数が「若者」という空間である。そこから感じられる活力とフラストレーションは、日本社会では感じ取りにくくなったものだろう。
ここで「若者」とされる世代を「30歳」あるいは「35歳」まで広く取っているのには意味がある。現在アラブ諸国で「若者」と呼ばれる層は、通常 の「10代」から「20代前半」までといった定義よりも幅が広い。すでに髪の薄くなった、お腹の出た「若者」も多くいる。これは、人口爆発で急激に増大した若年層が、職がないために結婚して家族を持つこともできず、自立した経済活動もできず、政治参加や発言を許されないまま中年にさしかかりつつあることを意味する。「未成年」を「大人」へと「昇格」 させる機能が不全で、新世代の社会・経済的、そして政治的な統合がうまくいっていない。35歳になってもなお「若者」と規定され続け、十分 な経済基盤や政治的発言力を与えられない状況に対して、大多数が「キレた」のがアラブ諸国の現状だろう。政権のメディアや、旧世代の知識人によって、ネガティブな社会問題として論じられてきた「若者」が、「若者」であることに居直り、逆に数の力と即応能力の高さを前面に打ち出して、ポジティブな政治勢力と して発言力を求めているのが、統治機構を軋ませる社会的圧力の根源と言えよう。
この世代は成長の過程で、1990年代から進んだ経済自由化の中、新たな外来の文物や情報が流れ込むのを、最も敏感に感じ取ってきた世代である。産油国以外では、高価な外来の商品は、情報はあれども、そう簡単に買えない。しかし中古品や模造品を流通させ、時には珍妙な自作品なども試みて、どうにか手に入れてきた、そういう世代である。
情報空間の変容
特に、経済自由化と共に(またその一部として)進んだ情報・メディア空間の変容は、「若者」を急激に増大させる人口動態と相乗作用を起こし、社会と政治の地殻変動をもたらした。
チュニジアやエジプトの政変に際しては、「フェイスブック革命」「ツイッター革命」といった報じられ方もあった。それは重要な要素だが、より長期的に、過去15年間で生じてきた累積的な情報空間の変容を理解しておく必要がある。
1996年に、アラビア語衛星放送局アル=ジャジーラが開局したことは、各国の政権によるメディア・情報統制に風穴を開けた。中東諸国の都市でも農村でも、建物の屋上や壁面に茸の如く設置された無数の衛星放送受信アンテナが、最も顕著な要素である。
2000年前後から携帯電話が急速に普及していった。日本以外で携帯電話に標準で装備されているショート・メッセージ・サービス(SMS)は、インターネットにつながらずに簡易メールを送受信でき、大量の宛先に一斉送信も可能である。ここで、携帯電話・簡易メールで連絡を取り合って、短時間に単一争点で群衆を組織する「スマート・モブ」の現象がアラブ諸国に現れ始めた。
ここに2000年代後半から安価に普及するようになったパソコンとインターネットが加わった。これによって在外のアラブ人との連絡も容易になり、外の世界の情報が格段に早く、自由に流入するようになった。そして携帯電話で撮影した写真や映像をインターネット上に載せることで、統制された情報空間にさらに大きな迂回の経路が出来上がった。