2024年7月14日(日)

池内恵「中東の眼 世界の眼」

2011年5月2日

大規模デモが広げる社会的亀裂

 「大規模デモ」という共通の政治手法が、政治的自由と政治参加の権利を制約して存立している各国の政権を、共通に揺るがしている。しかし各国の社会構成や政権・軍のあり方によって、当面の帰結は異なってくる。各国の政治体制が直面する変化を見通すには、(1)中間層の厚みと成熟度、(2)国民統合の度合い、(3)政軍関係、(4)米国などとの対外関係、を切り口に各国を見ていくと良いだろう。

 (1)中間層の厚みと成熟度
 これは各国の「大規模デモ」の規模と効果を分ける決定的な要因である。「大規模デモ」は、新しく上昇してくる、教育を受けた社会的中間層がエンパワーメントを求める動きの表出と言えよう。人口動態から、中間層の多くが「若者」となるが、上の世代で、政府からは自立した政治思想を温め、市民社会活動の経験を積んできた知識階層が参加してくると、「大規模デモ」に安定性が高まり、広がりが出てくる。

 この中間層の厚みと成熟度は、各国の歴史や政治・経済的な発展段階によって異なる。チュニジアとエジプトは、この中間層の厚みがあり、固有の市民社会の成熟度がアラブ諸国の中で高い国である。この二国にしても内実は同じではなく、チュニジアが人口1000万人のうちの多くを均質な中間層が占める国であるのに対して、エジプトはアラブ世界最大の人口(約8400万人)を擁し、依然として識字率も6割程度で、特に低所得層の女性で低い。多様な社会階層を抱え込んでいる。エジプトの場合、膨大な低所得・非識字の階層を抱えつつも、教育を受けた中間層の絶対数もアラブ世界の中で他を圧して多く、その活力がアラブ諸国への文化的発信力をもたらしている。 

 これに対して、権威主義よりもなお厳しい社会統制を行う全体主義的な政権が支配して市民社会の形成を阻害してきたリビアやシリア、また経済・社会的な低開発下のイエメンではこの中間層が潜在的には存在していても、成熟度、すなわち政治・社会勢力としての意識化と組織化がまだ及ばない面がある。シリアのように、それなりに質は高いとされるが、規模からいうと薄い知識層が、政権の陰険な弾圧や脅迫、経済利益による取り込みなど分断工作の影響を受け、大部分が政権の翼賛に回るか海外に亡命するかの二者択一を迫られている国では、新世代の中間層にも、十分な政治意識や組織化が進んでいない。

 しかしデモの経過を見ていると、リビアやシリアでも、チュニジアやエジプトの事態に感化され、デモを組織し主張の声を上げる過程で、潜在的な中間層が活性化されている。これらの国では、「大規模デモ」が現在の政権を代替する理念や社会勢力を明確に示すまでには一定の時間はかかり、混乱を経なければならないとしても、やはり中間層の上昇という趨勢は押し留め難いと見られる。

(2)国民統合の度合い
 チュニジアやエジプトでは、大規模デモが拡大する過程で、世代や階層を超え、イスラーム教とキリスト教の信仰・帰属も超えて「国民」として結集し、まとまって政権と対峙するという構図が見られた。そのため、政権の崩壊が社会の深刻な分裂をもたらすことなく、移行過程に進むことができた。しかしこのような国民統合の進展は他のアラブ諸国では当てはまらない場合が多い。部族・宗派・地域・民族などへの帰属意識・コミュニティ結合が国民社会への統合よりも強い場合、「大規模デモ」は「国民」が一致して「政権」に対峙したチュニジアやエジプトのようなきれいな対立図式になりにくい。

 むしろ、一時的には、「大規模デモ」の圧力によって、社会が部族や宗派・民族による亀裂に沿って割れかねない。政権側も、この分裂要因を強調し、対立を煽って、「安定をもたらせるのは政権だけ」と主張することで生き延びようとする。エジプトのムバーラク大統領も、リビアのカダフィ大佐とその家族も、イエメンのサーレハ大統領も、政権崩壊期の演説でこれを強調している。「大規模デモ」に類似した集団を、私服で武装させて組織して対抗させるなど、泥仕合に持ち込もうとすることも多い。

 リビアでカダフィ大佐とその一族の周りに結束する忠誠心の高い集団はそれほど規模が大きくなく、早期に内外の正統性を失ったが、東リビアの反乱勢力を比べて高度な装備を蓄えている。カダフィ勢力の解体には外部からのかなりの軍事力増強と持続した国際的圧力が必要である。シリアでは弾圧を暗黙に支持して事故の経済・社会的な利益や地位を守ろうとする層も分厚いと思われ、一定の国民の支持の下で、虐殺や人権蹂躙が続き国際社会が対応に苦慮するという事態が想定できる。厳しい情報統制・監視社会で、国民一人一人が「デモは過激派テロリスト」「デモが傭兵を雇っている」といった荒唐無稽な発言を繰り返し、「国民の支持」を背景に国際社会に非人道的行為の「承認」を求めるという、また固有のケースとなる可能性がある。

 興味深いのは、「大規模デモ」の側の方が、部族や宗派や地域などへの帰属意識を超えて「国民統合」を主張している点だ。リビアやシリアやバーレーンなど、いずれも当初から国旗を掲げ、「国民は一つだ」というスローガンを連呼している。リビアのように、カダフィ政権が成立する以前の国旗を掲げる場合もあるが、多くは現在の国旗をそのまま使っている。

 逆に政権側が「部族の反乱だ」「宗派分裂を画策する勢力だ」と批判しつつ、部族や宗派の紐帯で支持勢力を固めようとしている。通常は反政府勢力が特定の宗派や部族や地域による分離独立を主張するものだが、現在のアラブ諸国の政変では構図が異なり、政権側が特定の宗派や部族の結束によって、国家の分裂も辞さないという姿勢で権力を維持しようとしている。

 中間層の成熟や宗派・部族を超えた国民としてのまとまりがあるかどうか、というのは、分かり易く言えば各国の「民度」の程度と言うこともできよう。新世代の希求を受け止められるかどうか、権威主義を揺るがす政治参加の声を受けて為政者と国民が流血の惨事を避けて体制を変えていけるかどうかは、結局は各国の国民の総体としての文化度に依存するのであり、その面で不安を抱えた国が多いのは確かである。

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