アラブ諸国では、経済水準の制約から、産油国の富裕階層を除いて、デジタル・カメラやCDプレーヤーもほとんど普及しなかった。これが携帯電話とパソコンの普及で、一挙に到来した。
純正の新品パソコンは買えなくとも、国際的な中古部品市場から部品をかき集め、数台のガラクタから一台のパソコンを器用に作ってしまう技術者は無数にいる。ラップトップのパソコンが普及するようになったのはここ2・3年だが、それと共に無線LAN(Wifi)も普及しつつある。その上で、ここ数年でフェイスブックやツイッターが普及したのである。
左下:中古パソコン修理・組み立て工場。張り紙に「若者の働き手求む」とある
右:10年前は時代遅れの洋品店が並ぶ寂れたショッピングモールだったが、今は5階建ての全館がパソコンやゲーム、AV音響機器の店で埋まり、秋葉原のような雰囲気(いずれもカイロにて筆者撮影、2011年4月)
重要なのはこれらの新しい情報ツールを連動させ、一体化する創意工夫が、アラブ世界の新興メディア産業の従事者に旺盛なことである。アル=ジャジーラやアル=アラビーヤといったアラビア語衛星放送局は、フェイスブックに上がった映像や、ツイッター上の発言を、即座に精査して、有力なものは画面にすぐ載せる。現地と電話をつなぎ、映像や音声の多少の乱れは気にせず、台本もないままに機動的に報道を行っていく。有識者の選び方も、実に的確である。そして放送をインターネット上で視聴できるようにして、認知度と発信力を高めていく。アジェンダ・セッティング(課題設定)の主導権を握り、注目度と信頼性を高めて影響力を増すことこそが、営業上も有利である、という当然の常識の下で競争し、工夫している。
これはアル=ジャジーラの英語版も同様で、米国や英国の最高水準の研究者が次々と解説に出てくる。英語版アル=ジャジーラはエジプトの政変の中継で、国際的な注目と信頼を集め、BBCやCNNと並ぶ英語国際ニュース局としての地位を確立した。
なお、米国の民主化支援の諸プログラムも、独立系新聞やウェブサイトの設立・運営に資金とノウハウを提供するなど、自由な情報の流通を確保することに重点を置いてきた。これはアラブ諸国の情報空間の変容と政治意識・議論内容を変えていくのに貢献している。ただし、米国の支援が一連の事態を引き起こしたとする、現地の状況から隔絶した、短絡的な解釈は取るべきではない。アラブ世界をめぐる情報メディア空間の変容は、情報技術の進展と、各国の市民の情報への渇望が合致したことによって引き起こされたものだ。そこにアラブ世界の政治状況を克明に見届けたい国際社会の関心が加わり、それに応えてビジネス・チャンスをつかもうとする活力のあるジャーナリストや企業家が育ってきた。
「尊厳」というキーワード
「大規模デモ」に集う若者や諸勢力の要求はどのようなものなのだろうか。「職」や「食」をめぐる経済的背景が、デモが世代や階層を超えて膨らんでいく過程で介在していることは確かだ。しかし中核になる若者の場合、単に「お金の問題」ではないと考えた方が良い。
チュニジアの若者の暴動で提起され、エジプトで増幅され、イエメンやシリアやバーレーンに広がっていったのは、「尊厳」(アラビア語では「カラーマ」、英語ではdignity)というキーワードだった。
政権と社会の腐敗や不公正によって、社会・経済的な機会を与えられず、政治的な声を上げようとすると、屈辱的な拷問によって封じ込められる。秘密警察の目を恐れ、近親からの密告にも脅えなければならない生活は、旧世代にとっては「被支配者」としての当然の扱いと受け止められてきたが、人権意識を備えた新世代はこれを「尊厳」を損なう不当なものとして認識するようになった。これはここ10年前後で生じた急速な社会意識の変化であり、まさに「30歳以下が6割」で、人口の多くが「入れ替わった」社会環境にこそ生じるものだ。
政治的な顧慮や承認を求める「尊厳」への要求は、湾岸産油国のように「ばらまき」を拡大することで凌ごうとする、従来型の政策が功を奏さない可能性を示唆する。
また、「尊厳」への要求は経済問題にも一貫している。政権の周辺に富が集中する歪んだ経済自由化への批判も、社会主義への回帰につながるのではなく、自由主義・市場経済の下での公正な競争環境の整備や、社会的なセーフティーネットを求める方向性のものである。