Jリーグに赤字経営の球団は少なくない。でも、儲からないからと世の中からなくなるわけではない。それはスポーツにはお金に換えられない価値があるからだと、塚野は言う。
「フランチャイズ制は商権の範囲を決める考え方ですが、サッカーはホームタウン制、つまりふるさと制です。ふるさとは生まれたところだから、家族です。僕の親父は大酒飲みだけど仕事を1日も休まなかった人で、それは塚野家のキャラとして僕の中に入っている。キャラって、家族という秩序があるから、代々つながっていくものでしょう? 地域も同じで、だからガイナーレには、プロチームだけじゃなくてユースもシニアも女子もチームがあるんです」
家族という器があるから、祖父母、両親、子どもの間で、家の「らしさ」が受け渡されていく。ふるさとという、集う老若男女にとって思い入れの強い地域単位も然り。塚野は、地域がまとまり、そこで鳥取の「らしさ」が代々つながる受け皿として、サッカークラブを位置づけてきた。では、鳥取のキャラって何なのか。
「僕のおばあちゃんは、いちばんうまくつくれた野菜を近所に配っていました。鳥取の人は、自分のところから見る大山がいちばんだとみんな言います。こういうのって、いい話だと思うんです。地域のことが好きで、コミュニティが濃い。いいものを持っているのに、『鳥取には何もない』って控えめになっているのが、僕は悔しいんです。持っているんなら、本気でやってみればいいって、10年間思ってきました」
つまりJ挑戦は、「本気でやってみる」を鳥取のキャラとするための旗印だ。それにはチームを、地域のあらゆる人々がスポーツを介して集い、そこで親しくなってみんながまとまり、その象徴として「俺(おら)がチーム」のプロがあるというようにしなければいけない。ありがちな、一部熱狂的なファンだけのものではダメだ。
子どもたちの溜まり場をつくりたかったんです
Jリーガーの時、塚野はキャンプ地のオーストラリアで、子どもが体を動かし、老人がくつろぎ、併設されたスタジアムでみんなが「俺たちのサッカーチームだ」と試合を観戦する光景を見た。それが「クラブチーム」だった。引退して帰鳥し、ハローワークで探した青果市場のセリ人見習いに就きつつ、会う人ごとに「クラブチームをやりたい」と話した。「はぁ?」と冷たく反応されながら、空き時間に倉庫を探し歩いた。1年後、手頃な「ボロ倉庫」が見つかると、フットサル場に改装して市場は辞めた。
「子どもたちの溜まり場をつくりたかったんです。僕が小さい頃、放課後は駄菓子屋が溜まり場でした。店のおばちゃんに学校であったことを話して、それからみんなで神社や公園に行った。小さい子も拗(す)ねずに一緒に遊べるようなルールをつくったし、大人たちも一緒に遊んでくれた。そうやって、みんなで本気で遊ぶのがすごく楽しかったんです。今は駄菓子屋もなくなって、公園にも子どもたちの姿が減った。だったら、僕が溜まり場をつくろうと」
子どもの溜まり場があれば、そこに大人も集まり、みんなで体を動かすこともできる。オーストラリアで見たものは、子どもの頃の自分の環境と重なると、塚野は考えた。そこでフットサル場をNPO法人化して、より幅広いスポーツを楽しめるようにするとともに、集う人々のシンボルチームにSC鳥取(07年からはガイナーレ鳥取)がなればと、選手や監督をしながらチームのマネジメントを担い始めた。