明治時代に40種類もの料理を提供
谷崎が店を訪れたのは、開業して8年目のことになる。『朱雀日記』には何を食べたか料理の記述は出てこない。
同店には明治時代のメニューに関する資料が残っている。コースは梅印、竹印、松印の3種あるが、内容は記されていない。アラカルトは約40種類も! カビア露國産ノ子、コンソムメ特別製澄肉汁といった前菜、スープ、野菜、デザートのほかにメインが29種類。そのうち魚料理はフライド、ボイルド、グレルド(グリル)の3種、他には卵御好(おこのみ)料理、カレーライス、カレー玉子ツキがあるだけで、とにかく肉料理が多い。シヤトブリヤン牝牛背肉ノ煎焼、シチウドビーフ煮込牛肉ト野菜、ミンチボール漬肉玉煮込、ロールキャベツ漬肉甘菜包、フリカセチキン雛鶏ノ白ソース煮込、ローストヴイール子牛蒸焼、ポークチヤツプ豚肉焙焼などズラリと並んでいる。
「京都には旦那衆や町衆がおられたので、ハイカラなものが受け入れられたのではないでしょうか。でもコースの最後にお茶漬けを出したりしたと聞いております」
大正時代に入ると、四条麩屋町に大きな木造3階建ての店舗を新築し移転した。まだまだ自動車が珍しかった時代に、四条通には黒塗りの車が並んだと伝えられる。
伝統と挑戦の融合
昭和3年(1928)、宮内省主厨長(しゅちゅうちょう)の秋山徳蔵氏から重大な依頼を受けた。京都大宮御所で行われる昭和天皇御大典での供宴料理を手伝ってほしいというのだ。
その時の料理が認められ、「萬養軒」は皇族や国賓の大宮御所での食事を担当するようになった。もてなした国賓には、イギリスのエリザベス女王、チャールズ皇太子とダイアナ妃、アレクサンドラ王女、エチオピアのハイレ・セラシエ皇帝、西ドイツのリュプケ大統領などがいる。 「基本的には大宮御所で調理しますが、時間のかかるソースやスープは店で作ったものを運びます。昔は長持で運んだそうです。ダイアナ妃の時には『ヘルシーな料理を用意してください』というご希望があり、何度もメニューのやり取りがありました」