漢族の「不法侵入」を止められなかった満洲
曾根は、やがて万里の長城の東端の関門であり、「天下第一関」で知られる山海関に到着する。山海関の城門の上に立って周囲を眺め、山また山を越えてうねうねと続く長城の雄大な景観に見入る。山海関の手前が漢族の住む関内。山海関の東だから関東で、その先には肥沃な満洲の大平野が広がる。曾根は万里の長城を背に東に向って歩き出した。
当時、主に山東省や河南省に住む漢族の多くは貧しさとひもじさから抜け出すべく、新天地を求めて山海関を越え、雪崩を打って関東に向かった。「闖関東」と形容される漢族の満洲への大移動が続き、やがて満洲族の故地は漢族に埋め尽くされてしまう。
清朝は17世紀半ばに北京に都を定めた直後、荒地開墾を希望する漢族の山海関からの満州入りを許可した。すると満洲に新天地を求めた漢族が、農業植民を目的に続々と満洲入りする。ここで注目しておきたいのが満洲に隣接する内モンゴル東部でも牧野の農地化、つまり農業が遊牧を侵し始めたこと。すでにこの時期、漢族による遊牧文化侵食、いいかえるならモンゴル遊牧民の悲劇が始まっていたのである。
漢族は主に同郷者が集団で満洲に向かった。彼らは窩棚と呼ばれる掘っ立て小屋を建て定住に向け土地の開墾に着手する。コウリャン、アワ、ソバなどが栽培されるようになると、やがて故郷を同じくする同姓者を呼び寄せて集団居住する村落が生まれる。海外の華僑・華人社会がそうであるように、満洲でも生き抜くための拠り所は同郷・同姓の縁だった。ここで注目すべきは満洲入りした漢族は農民だけではなかった、つまり中国社会の仕組みそのものを満洲に持ち込んだことだ。農業移民の成功に誘われ手工業やら商業機関が持ち込まれ、都市生活も始まる。満洲の漢化、ということは漢族社会のネットワークが知らず覚らずのうちに満洲にまで広がっていたわけだ。
1740年代になると、清朝は封禁政策に着手し、山海関での漢族移民の出入りを取り締まることになる。だが、これが徹底されない。一度手に入れた土地(=財産)をおいそれと手放すわけがない。だから入植した漢族は満洲を動かない。加えて豊かに暮らせることを知ったことで、不法侵入は常態化する。凶作時の超法規的処置として一時移住・滞在が許可されるや、居座ったうえに家族・親族・友人までも呼び寄せる。こういった現象は1978年末に開放政策に踏み切って以降の中国人の海外移住と同じと見るべきだろう。漢族は中国本土以外に飛び出せる機会があるなら、違法・合法の別はない。いつだって飛び出す。やがて異邦に家族・親族・友人までも招き寄せ、周囲の迷惑を顧みず自分たちの生活方式・習慣を貫こうとする。摩擦が起きても平気の平左。郷に入っても郷に従わないことを、現在も墨守する。
城門に曝し首、ハエたかる街の惨状
軍人である曾根の目的は兵要地誌作成、あるいは清国抗戦力調査と思われるだけあって、地形、自然環境、集落と集落の間の距離、道路や河川、天気などを冷静に観察し、各地に点在する兵営の内実を兵士の数や武器の種類などで類推しながら、じつに要領よく記録している。いつの日か清国との戦争を想定しての作業だったろうが、その一方で草深い田舎やら山村での日常生活の一端をも書き留めることを忘れてはいない。
たとえば辺鄙な田舎のみすぼらしい旅館に泊まったところ、「不幸にして支那人と同室なりしが鴉煙の毒氣に壓せられ終宵睫を交ゆること能はず」と。曾根の旅行はアヘン戦争敗北から30数年後である。にもかかわらず(いや、だからこそかも知れないが)、辺鄙な田舎の旅館でもアヘンの吸引が行なわれている。この現実を見せつけられれば、全土が「鴉煙の毒氣」に「壓」されていると類推したとしても、強ち間違いとはいえないだろう。
さらに歩を北に進め遼東地方に至ると悪路の連続となる。雨が降れば馬は胴体を没してしまうほどのドロンコ道となる。馬賊の襲撃に備え長距離旅行者は「常に短鎗を持」たなければならない。そのうえ軍規は乱れ治安維持は覚束ないというのだから、旅行はおろか日常生活すら不安だらけだったはずだ。
やがて、当時の満洲最大の港湾施設を擁した営口に到着する。
街に入ると先ず目に飛び込んできたのは城門の上に曝された首級だった。「門上首級を梟したる者あり血未だ乾かず然れども刑名札を建てざるは支那の風習なれば何等の罪状なりや知り難し」と。おそらく馬賊の首級だろう。
営口の衙門(やくしょ)に出向いて、これから先の旅行に必要な通行許可証である「路票」の交付を受けた後に旅館に。旅館の惨状を次のように記した。
――悪臭紛々でハエは例えようもなく多い。狭くて汚くて風通しは劣悪の部屋で、備品の色が判らないほどにハエがびっしりとたかっている。夜は体に纏わりついて寝ることもできない。食事の際に注意しないと、間違えてハエを噛んでしまうほどだ。食べ物は脂っこ過ぎで食べられないし、水は悪く不健康の極みだ――