国民的英雄への道
1798年ナポレオンのエジプト遠征に対抗するために地中海艦隊を率いて出動。ナイル沖海戦でフランス艦隊を撃破。このためナポレオンはエジプトに孤立、当方進出を断念した。この戦果でネルソンは艦隊中将に昇進し男爵位を授与。
1801年コペンハーゲン沖の海戦で激戦を制してデンマーク海軍を撃破。バルト艦隊司令官を拝命。子爵に叙せられる。
ナイル沖海戦とコペンハーゲン沖海戦の戦勝を通じてネルソンの名声は一気に広まり国民的英雄となる。全国で祝賀会が開催され、教会では祝賀ミサ、そして記念品の発売と英国は祝賀ムード一色となった。
陳列棚に並んだ戦勝記念に発売された絵皿、メダル、ペナント、マグカップ、時計など夥しい記念品にネルソンの肖像が描かれている。
もちろん新聞やタブロイド紙というメディアでもネルソンの活躍は格好のニュースとして大々的に取り上げられた。こうしてホレーショ・ネルソンは英国の国民的英雄となっていった。
勝利は名声だけでなく巨万の富をもたらす
戦勝のたびにネルソンは商人組合など様々な団体や個人から土地や金品の寄贈を受けた。ナイル沖海戦の褒賞として東インド会社はネルソンに1万ポンド(現在価値で100万ポンド=1億6000万円)を贈った。
コペンハーゲン沖海戦の勝利では、ロイズ保険組合からの報奨金でネルソンはパーティー用の銀食器セットを購入したと記録されている。
さらに当時の海軍の規定では戦闘で拿捕した艦船と積荷は当局により競売に付された。そして売上金の25%は艦長が報奨金として受け取った。
ちなみに当時の戦艦の乗組員は800名~900名という大所帯である。乗組員の8割以上を占める一般乗組員(海兵隊兵士、水夫、雑役夫、ボーイ等)650~700人が規定により売上金の4分の1を分け合った。それでも一般乗組員にとって報奨金は本来の給与よりも大きかったという。数々の戦勝によりネルソンが莫大な収入を得たことは想像に難くない。
トラガルファーの海戦及びネルソンの私生活については次回に続く。
⇒第5回に続く
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