2024年11月22日(金)

海野素央の Democracy, Unity And Human Rights

2018年9月18日

ロブレドさんとの出会い

ミラゴロス・ロブレド(66)

プエルトリコ系米国人ミラゴロス・ロブレドさん(右)と筆者

 プエルトリコ系米国人のロブレドさんは、遺族用ゲートのそばで緑色の小さな折りたたみの椅子に座って、娘のニッツァさんを待っていました。

「私の名前(ミラゴロス)は、ミラクル(奇跡)という意味です」

 ロブレドさんはこう自己紹介をすると、姪について次のように述べました。

「私は姪を亡くしました。彼女の名前はエメリタ・デラ・ペニャといいます。当時、エミーは32歳で、金融機関のアシスタントをしていました。彼女の職場は南棟の90階にありました。南棟は北棟の後に攻撃を受けましたが、先に崩壊しました。17年が経過しましたが、悲しみは増しています」

 ロブレドさんの右目から涙が落ちていました。

「エミーには娘が一人います。彼女は今、17歳です」

 続けて、ロブレドさんは静かな声でこう語りました。

「エミーが亡くなったとき、彼女は妊娠をしていました」

 沈黙が続いた後、ロブレドさんはエミーさんの同僚について話しました。

「エミーは逃げてくる人のために、ドアを抑えて助けていたそうです。彼女の上司は大丈夫だから席について仕事を続けるように指示しました。生き残った同じ職場の中国系米国人女性が、私にこう語っていました。彼女はすぐに逃げたのですから賢いです」

 ここまで語るとロブレドさんは、日本人の友人について話し始めたのです。

「私にはマンハッタンに日本人の友人がいました。彼女は米国人と結婚したのですが、夫がアルコール依存症で、良い夫だとはとてもいえませんでした。結局、離婚して彼女は日本に戻りました」

 ロブレドさんは日本人に対して好感を抱いているようでした。筆者の専門である異文化間コミュニケーション論や大学での講義について説明をしていると、突然、直視して以下のように語ったのです。

「私と一緒に追悼式典に来なさい。遺族の友人としてあなたを式典の中に入れるので、私のことをよく知っているように振舞うのよ。分かりましたか。エミーの名前が刻まれている場所にあなたを案内します」

 そう語ると、今度は笑みを浮かべて次のように語りました。

「あなたに奇跡が起こりましたね」


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