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2011年8月5日

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下條正男 (しもじょう・まさお)

拓殖大学教授

國學院大學大学院文学研究科博士後期課程修了。1983年、韓国の三星グループ会長秘書室勤務。1994年、市立仁川大学客員教授。1999年から拓殖大学国際開発研究所教授。著書に『日韓歴史克服への道』(展転社)や『竹島は日韓どちらのものか』(文藝春秋)などがある。

 そこに5月24日、韓国の独島領土守護対策特別委員会の姜昌一委員長は、国後島を電撃訪問するなど、明らかに日本側を挑発した。その姜昌一委員長は、8月3日の独島領土守護対策特別委員会で、「日本の右翼要人や団体」の韓国入国を防ぐため、政府にブラックリストの作成を促すとし、日本が抱える中国やロシアとの領土問題を勘案しながら、必要によっては周辺国とも協力するとも発言(韓国各紙の電子版)した。

 韓国内では、日本の領土問題は、すべて日本による領土的野心が原因とされ、昨年7月、新たに編纂された高校生用の歴史教科書「韓国史」にも反映されている。

民主党の外交下手が招いた結果

 だがこの歴史事実に基づかない歴史認識は、韓国のみならず中国やロシアにも共通しており、昨年9月の尖閣諸島付近での中国漁船による追突事件と、11月、ロシアのメドベージェフ大統領による国後島訪問も密接に繋がっている。中国では、日清戦争の際、尖閣諸島が日本に奪われたとする歴史認識がある。そこでその奪還の参考にされているのが、韓国による竹島の侵奪過程である。1953年、韓国の民間人が竹島に上陸したことに始まり、今に不法占拠を続けているからだ。

 しかし日本政府は、尖閣諸島付近での中国漁船衝突事件を処理できなかった。民主党政権には外交問題を処理する能力が欠けると見た中国は、その後、南沙諸島や西沙諸島に食指を伸ばし、ベトナムやフィリピンとの間で緊張を高めることになった。こうした東アジア情勢を鳥瞰した時、日本としては座視できない状況にある。今回の自民党の「領土に関する特命委員会」所属の議員たちによる欝陵島渡海は、竹島問題だけを視野に入れていたのではなかったのである。

欝陵島に渡ろうとした本当の理由

 では何を目的に欝陵島に渡ろうとしたのか。それは竹島問題の発端が、江戸時代の欝陵島にあったからである。1618年、幕府の許可を得た鳥取藩米子の大谷・村川両家は、欝陵島に渡って漁撈活動等に従事していた。ところが1693年、朝鮮の漁民らと遭遇し、安龍福と朴於屯の二人を越境の証拠とし、米子に連れ帰るという事件が起こった。その時、安龍福は幕府の命で鳥取藩から対馬藩に移され、対馬藩を通じて朝鮮に送還された。だがその三年後、安龍福が隠岐島に現れ、于山島は日本で言う松島(現在の竹島)であるとし、その後、鳥取藩に向かった。鳥取藩ではこれを追放したが、帰国後の安龍福は、鳥取藩主と交渉し、欝陵島と現在の竹島(于山島)が朝鮮領になったと供述している。その供述調書の一部が『粛宗実録』に収載されたことから、韓国側ではそれを根拠に、竹島は韓国領であると主張するのである。今、問題となっているのは、安龍福が于山島とした島がどこにあるのかということで、今回の欝陵島訪問の目的もその安龍福の証言を確認するためであった。

 そこで準備したのが「欝陵島図形」(写真1)という地図である。これは安龍福の事件を契機に、朝鮮側が欝陵島の調査をはじめ、作成されたのが「欝陵島図形」である。その中でも朴錫昌等が1711年に作成した「欝陵島図形」が来歴も確かで、それを見ながら、欝陵島を一周する遊覧船の船上から確認するつもりであった。「欝陵島図形」には、「所謂于山島」と表記された小島が描かれているからである。

(写真1)「欝陵島図形」(左)内には、「所謂于山島」という注記(右)がある 出所:Web竹島問題研究所
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