紳助氏は頭に血が上って凄むとき、「俺のケツ持ちを誰と思ってるんや。極心連合会の橋本会長やぞ」と怒鳴り、恫喝した。事情を知らない者は、彼のバックは山口組系の極心連合会か、と一瞬怯む。つまり紳助氏は橋本会長から借りができたことを気に病まず、むしろ継続的に庇護者になってくれたと受け取った節がある。
総じて紳助氏は切れやすく、04年10月には大阪・大淀南の朝日放送社内で吉本興業の女性社員を殴打し、加療1週間を要する頭部外傷や頸椎捻挫、左上肢と背部の打撲傷害を負わせた。女性社員はその後長くPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症し、ついに退職するハメに陥った。紳助氏を民事裁判で訴えもした。
紳助氏は単に暴力団幹部の庇護を受けているだけでなく、彼自身が暴力的で、一般人と何度もトラブルを起こしている。生来、暴力的な性向を持っているのかもしれない。
橋本会長は山口組の出世階段を順調に上っていった。76年に山健組に加盟したのだが、89年山健組の渡辺芳則組長が山口組の五代目組長に上ると、次の山健組組長の座は桑田兼吉に譲られた。橋本会長は桑田組長の下でナンバー2である若頭に抜擢され、桑田組長が拳銃の共同所持で裁判を抱えるころには組長代行に上っていた。
渡辺五代目組長の地位が司忍若頭(現山口組六代目組長)により脅かされ始めた05年4月には山健組から山口組の直系組長に引き上げられ、しかも同年6月には若頭補佐に任じられた。橋本会長は押しも押されもしない山口組の大幹部にのし上がったのだ。
山口組は日本の暴力団組員の半数を占めるほど多数派であり、その若頭補佐といえば、組内で五指に入る。紳助氏の「ケツ持ち」はあれよあれよという間に出世を遂げ、紳助氏はこうも強力な後ろ盾なら「向かうところ敵なし」と思ったにちがいない。
芸能人としての生活か、交際の継続か
元ボクサーの渡辺二郎氏は極心連合会で相談役の肩書きを持っているとされる。彼との間のメールが今回問題にされた。