恥を知らない人と金銭欲のない人
世の中で手ごわいのは、恥を知らない人、または金銭欲のない人。一番手ごわいのは、その両方を併せ持つ人だ。というのが私の持論だ。金銭欲故に恥を捨てる人はたくさんいるが、無恥故に金銭の無欲者になる人はほとんど見ない。しかし、金銭欲を超えた欲求になると、話は別だ。超越的な自己実現という第5段階の欲求の頂点に立つために、恥を捨てる必要が生まれる、そういう場面もあるからだ。そこで恥の価値と自己実現の価値を天秤にかけて後者に傾いた場合、恥を捨てることになる。これは「恥を知らない」と「金銭欲がない」という二項共存現象として表出する。
もう1つの側面は神という次元で、神には恥も欲(5段階すべて包羅する)も存在の必要がない故に、「無」という絶対的純潔さから神の存在に至高の価値を付与され、聖化されるのである。
トランプ氏を見る限り、一般人特に日本人の常識としての「慎み」や「恥」の概念に照らしてみると、少なくとも肯定的な評価は得られないだろう。だとすれば、彼は政治家としてある種の二項共存者であると言わざるを得ない。プラス思考的にいえば、神に近い存在、あるいは神とはコインの裏表の関係にある、という類の仮説が生まれてもおかしくない。
政治家の清廉とは、清貧ではない。清貧だからこそ金銭欲に駆られることも珍しい現象ではない。国家統治の観点からして、民主主義の多数決よりも、金銭的個益を度外視する賢君の独裁が合理性を有する。言い換えれば、最上段の超越的な自己実現の欲求の元で、安易にポピュリズムの罠に陥ることなく国家の全体的利益を追求する姿勢はむしろ理性的であって、為政者の「歴史に名を残す」欲求も健全な源泉と原動力になる。
God Bless America!「アメリカに神のご加護あれ」と唱えるトランプ氏。その瞬間、彼は神の代理人地位をひそかに自認している。私にはそう見えてしまうときがある。
連載:トランプを読み解く
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