この熱き人々

2019年1月24日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 身体の頑健さもさることながら、その精神の強さに圧倒される。90歳までは研究所を続け、100歳まで生きると笑う。

 「学歴もなく大学で専門教育を受けることもなく独学で建築を学んだので、仕事をする上で大きなハンディを背負ったが、そのハンディを力に変えて常に新しいものを創るために闘ってきた」と安藤はよく語っている。安藤の口からその言葉が発せられると、暗さや自虐的な匂いは不思議に感じられず、明るくむしろ誇らしげなトーンが漂う。困難に立ち向かうことがバイタリティの源泉で、闘う意欲が衰えない限り建築家であり続けるという強い思いが、言葉の端々から伝わってくる。

コンクリート建築との出会い

 異色の建築家・安藤忠雄は、大阪の下町で育った。双子の兄として生まれた安藤は、母が一人娘だったために最初の子供が実家を継ぐという本人の与り知らない約束によって、この地に住む祖父母に引き取られた。弟と数分の違いで、この運命を生きることになったわけだ。小学生の時に祖父が亡くなり、祖母とふたりの暮らしは貧しかったが、焼け野原で遊び回り3日にあげずケンカをしていたという。つまり勉強とはあまり縁がない少年時代である。

 「およそ高尚な文化的な匂いのしない生活環境で、向かいは木工所、その隣が碁石屋、鉄工所、ガラス工場が連なっている町。ガキ大将で遊び一方やったから、学校の成績はいつも下から5番目くらい。まあ、そこをキープしていたのはえらいと思う」

 安藤が建築という分野に初めて興味を持ったのは、中学2年の頃に家を2階建てに増築した時だったという。どこに興味を持ったのかという問いに、現場で働いていた大工や左官など職人の生き生きと仕事をする姿だという答えが返ってきた。

司馬遼太郎記念館=撮影協力
 

 「一心不乱に仕事してて、仕事ってこんなに集中できるものなのか、みんな楽しそうやなと思った。生きるって実感があった。でも、最近の建築現場は全然楽しそうでない。面白くなさそうな顔してる。今の日本は、まるで面白くしていたら悪いかのよう。イタリアの現場は、楽しそうに仕事して帰るよ」

 家を建てる人の楽しみと、そこから生まれる新しい生活への期待、つくる人の一途な仕事への姿勢。安藤の原点は、大阪の町で生きる人々の明るい喜びに包まれて出来上がっていく建物だったというわけだ。

 

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