建築で社会にどうかかわるか
安藤の建築家としての一歩は、現在事務所がある場所に建てられた「富島邸」、そして異色の建築家としてその名を世界に知らしめた「住吉の長屋」と、小さな個人の住宅から刻まれている。コンクリート打ち放しという素材と工法もここから始まっている。
日本建築学会賞を受賞した「住吉の長屋」は、両側の家と壁を共有する木造3軒長屋の真ん中にコンクリートの箱をスポンとはめ込んだような、斬新にして限界に挑戦するような小さな住宅。両側からの採光は不可能だから、真ん中に屋根のない光庭と呼ばれる中庭をつくり、そこから四季の移ろいを映す空や光や風が感じられる。が、光庭で左右に分かれた部屋の間の行き来が容易ではない。雨の日はトイレや風呂場に行くのに傘をささなければならない。自然が暮らしにもたらす力を信じ、普通の住宅ではありえない不便さを抱き込んだ。
「建築は、目指せ公的なものや大きなもの、という風潮やったけど、自分にそんな仕事はない。小さな住宅で巨大な建物に対抗できないやろかと考えていた。賞をもらった時、これを僕につくらせて住んでる人がエライと言った人がおったけど、ホンマにその通り。40年以上経ってもう高齢にならはったけど、まだ住んでくれてる」
広さや快適性や利便性を超えて、ここで暮らす人の心や生き方にこの建物が深く棲みついてしまったのだろう。
その後の安藤の快進撃は誰もが知っている通り。日本では大阪の「光の教会」「近つ飛鳥博物館」、北海道・トマムの「水の教会」、兵庫・淡路島の「本福寺水御堂(ほんぷくじみずみどう)」「淡路夢舞台」、香川・直島の「地中美術館」「ベネッセハウス」「南寺(みなみでら)」、東京の「表参道ヒルズ」……。海外でもアメリカの「フォートワース現代美術館」「ピューリッツァー美術館」、ドイツの「ランゲン美術館」、中国の「上海保利(ポーリー)大劇院」、イタリアの「プンタ・デラ・ドガーナ再生計画」などなど、書き出したら終わらないほどの安藤建築が日本中、世界中に息づいている。