立花聡の「世界ビジネス見聞録」

2018年12月24日

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立花 聡 (たちばな・さとし)

エリス・コンサルティング代表・法学博士

1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。法学博士、経営学修士(MBA)。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員。

 

光と熱は共存しない

 イルリサットの家々は、カラフルだ。北極圏、暗くて灰色のイメージがある。長い冬と極寒、陰鬱な日々が続く中、視覚や気分を明るくしてくれるのがこの鮮やかな街並みである。

カラフルな家々(写真:筆者提供)

 そして短い夏には、白夜が訪れる。ミッドナイトサンといって、真夜中の太陽が極北の地を照らし、生命力の回復を謳歌しようとする。けれど、その太陽の光はなぜか切なく、冷たさすら感じさせるのである。暖かさを与える前に、白夜の太陽はまず寒さと戦わなければならないからだ。光と熱は必ずしも共存しない。白夜はある意味でその相反関係と営みを示唆するものだ。

 人生には漆黒の闇がしばらく続くと、幻想的な白夜が訪れることがある。それが暖かさを伴わない明るさだったりする。タンゴのように情熱的なリズムに合わせて一縷の切なさが妖艶に踊る。そんな感じがした。

 青春、朱夏、白秋、玄冬。人生は一度限りの四季に喩えられつつも、角度を変えてみれば、光と闇の移り変わりとも見て取れる。人生は苦痛の連続だ。故に裏返せば、何をすればよいかを考え抜くのが人生なのだ。闇にただひたすら堪えるよりも、そこで心の白夜を自ら作り出すことがニーチェが言う積極的・能動的ニヒリズムではないか。白夜の太陽は幻想的で弱々しくも冷たい。だが、少なくとも漆黒の闇よりはマシだろう。光さえあれば、カラフルな色彩も意味を持ち始める。積極的な人生とは意味を作り出すものだ。

氷山の一角と氷山の転覆

 グリーンランド西岸イルリサットの海から北上する船旅に出る。前夜から天気が崩れ出し、当日はあいにくの雨天。

「皆さんは幸運です。これがグリーンランドの本来の姿ですから」。ツアーガイドのティナーさんがやや興奮気味に語る。商売上のパフォーマンスなのかもしれないが、嘘ではなかった。

 船は出港してエキ氷河(Eqi Glacier)を目指して一路北上する。低く垂れ込めた厚い灰色の雲をバックに海がやや荒れ気味。海面に浮かぶ氷山は冷たい青灰色を呈し、怪しい透明感を帯びている。いや、「海面に浮かぶ」という表現は、単なる私の視覚による直観的な反映にすぎない。まさに、「氷山の一角」というだけにその氷山の9割が海面下に不可知の形で存在しているのである。

氷山の一角(写真:筆者提供)

 専門家によると、氷山が氷棚から崩落したとき、周囲の環境と静力学的平衡が機能し、一般には氷山の10分の1が海面の上に残り、残りの10分の9は海面下に沈むという。氷は水面に浮かぶというわれわれの常識、そして肉眼の視覚による直観的写像に基づけば、ついつい「海面に浮かぶ氷山」という論理的誤謬に至る。

 そして、さらなる変化は海面下で起きる。海中では氷山が溶け始める。要するに同じ氷山でも海面上の部分が空気、海面下の部分が海水という異なる外的変動要因をそれぞれ抱えているのだ。そこで、海面下の氷山が徐々に溶け始め、ある時点で全体的バランスが崩れ、氷山の上下が逆さまになるそうだ。

 このいわゆる「氷山の転覆」現象はめったに目撃することができないので、あまり知られていないようだ。「氷山の一角」から本質的な部分に突っ込むと、水面下の変化の進行から最終的に「氷山の転覆」という均衡の崩壊に至る全体像が浮かび上がる。これは哲学的な示唆であり、様々な事物に共通する基本原理として肝に銘じたい。

 昼、船はエキ氷河に到着。船上でランチを取り、1時間半ほどの停泊を経て帰路につく。夕方、イルリサットの小さな港に帰着したとき、小雨がまだ降っていた。

連載:立花聡の「世界ビジネス見聞録」

  
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