「練習は毎週日曜日で仕事の関係で出られるときは練習メニューを考えたり、技術的なチェックをしてします。向こうサイドのカベまでは見えていないのですが、助手を付けて見てもらって指示を出すようにしています」。 「チームを立ち上げて今年で4年目になります。6月に選手は引退していまは監督だけになりました」。
この競技は全盲でも弱視でも誰もが参加できるハードルの低い競技だという。みんな横一線から始められることも魅力のひとつだ。
「南米にはJリーグ並みのチームがあります。数も多いので、向こうではひとつの競技とみなされています。日本では福祉的な障害者スポーツとしてしか見て貰えないのが現状ですが、最近ではテレビで取り上げられることも多く、広く認知されるようになって一競技として見ていただけるようになってきました」。
障害者スポーツを広めるために
2018年も様々な団体からの依頼を受け10件以上のイベントに参加してきた。 ブラインドサッカー、もっといえば障害者スポーツの理解を広める広報活動としてスポーツイベントの依頼には積極的に応えるようにしている。
「2020東京が近づくにつれてブラインドサッカーの環境が変わってきました。都内にチームができたことによって、企業や区の主催であったり、日本ブラインドサッカー協会からの依頼のイベントが増えてきました」。
「基本的には土日が多いのですが、平日学校の授業で教えてほしいという依頼もあります」。
「対象は主に小学生でアイマスクをして参加してもらいます。日頃いかに目からの情報に頼って生活しているか、耳からの情報をいかに伝えるかを学んでもらっています」。
こうしたスポーツイベントへの参加はチームの運営にも大きな貢献を果たしている。ひとつにはチームや選手個人に支払われる謝礼である。
一つひとつの金額はけっして大きなものではないが、大会に参加するエントリー費用や遠征時の移動交通費の助けになっている。
視覚障害者スポーツの理解を広げる活動としても重要だが、選手たちの個人負担を軽減し、チームの運営費を稼ぐという意味でも重要な意味を持っている。
チームの運営には各部門を作って選手それぞれが役割を分担して行っている。
そして2019年、ラグビーワールドカップイヤーにブラインドラグビーにも挑戦しようと思案中だ。ビジネスのみならず、スポーツマンとしてもチャレンジャーとして新年を迎えることになりそうだ。