治療で重要なのは、ドロップアウトしないこと
――覚せい剤や大麻の正しい情報を聞いた上で、それらの薬物依存者に対し、どのような治療を行うのでしょうか?
松本:アルコールや大麻、ヘロインのようなダウナー系の薬物に関しては、補助的にそれなりの効果を発揮する治療薬が開発されているので、それを使用しながら治療していきます。
いわゆるアッパー系と言われる覚せい剤やコカインについては、そのような欲求を緩和する治療薬はまだ開発されていませんから、広い意味での心理療法が中心になります。なかでも一番効果的なのは、薬物依存症からの回復を支援するダルクなどの施設に入所することです。ただし、患者さんのなかには家族がいたり、仕事に就き一家の大黒柱である人もいます。その患者さんたちが、仕事を辞めてダルクに入所するのは非常に困難です。そこで我々が開発したのが、スマープ(Serigaya Methamphetamine Relapse Prevention Program:せりがや覚せい剤再発防止プログラム。開発時に最初のトライアルを神奈川県立精神医療センターせりがや病院で行ったことにちなんでつけられた名前)なのです。
――スマープの特徴とは?
松本:一番の特徴は、人材育成にあると考えています。これまでの医学では、冒頭にお話したような薬物防止教育とさほど変わらない薬物依存者に対する教育が行われていました。医療関係者であっても薬物依存者に出会う経験がほとんどないので、患者さんに会ってもらい医学教育で刷り込まれた偏見をなくしてもらう。薬物依存症の治療がうまくいかない最大の原因は、医療者側の偏見にあるからです。
もちろん、スマープは患者さんの病状の改善にも貢献します。そのなかで、プログラムの効果として重視したのは、治療継続性の高さです。1980年代より海外の研究で明らかにされてきたのは、依存症の治療において最も重要なのは、継続性が高いこと、ドロップアウト率が低いことです。そして実は、従来のプログラムでは治療開始からわずか3カ月でなんと7割もの患者さんが治療からドロップアウトしていました。
――プログラムの途中でドロップアウトするのは、また薬物を使用してしまうからでしょうか?
松本:ええ、おそらくそうなのだと思います。再び薬物に手を出してしまうのが薬物依存症の症状なわけです。ですから、そのことを正直に言ってくれないと、治療になりません。しかし、従来のプログラムでは、その失敗を安心して告白できませんでした。もしも告白すれば、医師から頭ごなしに叱責されたり、説教をされたり、プログラムに参加させてもらえなかったりしたのです。さらには、正直に告白した結果、警察に通報されてしまうことさえまれならずあったのです。覚せい剤の使用に関しては、本来ならば医師には守秘義務がありますし、通報義務もありません。たとえ「犯罪告発義務のある公務員」の医療者であってもとしても、その犯罪にあたる行為に関して職務上正当な理由(=治療上の必要性)があれば守秘義務を優先できるはずです。ところが、残念なことに、医師のなかには、治療を犠牲にしても、犯罪を告発することが正当だと考える人もいるのです。
そのように通報されるかもしれないと脅えるような状況では、依存症の患者さんたちはとうていプログラムを続けることなどできません。依存症からの回復に必要なのは、安心して失敗を語れる治療関係です。「薬をやりたい、やってしまった、やめられない」と告白しても、誰も不機嫌にならないし、誰も悲しげな表情をしない場所です。スマープでは、そんな風に安心して失敗を語れる安全な治療環境づくりを心がけています。
――その他に薬物治療で難しい点はありますか?
松本:覚せい剤に依存している患者さんたちが一番覚せい剤に再び手を出しやすいのは、刑務所から出所した直後です。刑務所に収監されている間は当然覚せい剤とは無縁ですが、その間に仕事を失い、配偶者や家族のサポートがなくなり、友人とも疎遠になっている場合もあります。再就職しようにも厳しい状況です。そうなると居場所がなくなり、健康な人たちとのつながりから孤立してしまい、結局は再びかつての薬仲間のところにも戻ってしまいます。そして自暴自棄的な気持ちから覚せい剤を採用してしまうのです。
――その際に、また刑務所に戻るかもしれないという考えと、戻りたくないという考えを天秤にかけることはないのでしょうか?
松本:最初は天秤にかけ「やっぱりやめておこう」となります。しかし、頭のなかでは「1回ならバレないか」「今日は出所したからご褒美だ」「今度こそこれが最後の1回だ」などと段々と自分に都合の良い理屈を思いつくわけです。依存症というのは、心のなかに「自分を裏切る悪魔」が住んでいるイメージで捉えてください。